「人造人間キカイダー」感想メモ ~「心」を描いたロボットロマン~

2023年7月6日木曜日

感想 人造人間キカイダー

t f B! P L

「良心回路」

 1972年7月2日、日本中が空前の「怪人ブーム」「変身ブーム」に湧いていた時代。
そんな「変身ブーム」の渦中にあっても強大な視聴率を誇っていた裏番組を視聴率で打倒すべく、絶大な変身ブームを追い風として企画され、変身ブームを牽引していた「仮面ライダー」との差別化をも図り、東映が自ら生み出した特撮ヒーロー番組が「人造人間キカイダー」だ。

”ロボットロマン”として企画されたこの作品は、世界征服を企む悪の組織「ダーク」によって拉致され、悪のアンドロイド=人造人間を制作させられていた光明寺博士が秘密裏に作り上げていた正義の人造人間、「キカイダー」と、ダークが送り込む怪物ロボットとの攻防を1話完結で描いたアクションドラマである。そこには巨匠・石ノ森章太郎が好んで取り入れた「人ならぬ者の哀しみ」「同族と戦わなければならない悲劇」などのモチーフも進んで取り入れられている。

しかしこの構図だけでは先行して放送されていた「仮面ライダー」と変わるところはほぼない、「仮面ライダー」の勘所である改造人間をロボットに置き換えただけの作品にも見えてしまう。
しかし、「人造人間キカイダー」制作陣はここで「キカイダー」というキャラクターにその後の自我を持つロボットヒーローに多大な影響を与えることになる偉大な設定を創り上げる。
それが「良心回路」だ。

キカイダーは、人体模型のロボット版とも言える異形の姿が唯一無二の特徴である。右半身は青く、機械の露出もないスマートなフォルム。左半身は赤く、機械が露出した異形の姿。
石ノ森章太郎がデザインしたこの異形の姿に、制作陣は青い右半身は正義の心を、赤い左半身は悪の心を示すものである、というように、キカイダーのデザインに設定上の意味を与えた。
そしてそのように正義と悪の心が半々になっている姿は、(完成した作品上では「キカイダー」になることで良心回路は完全に作動するとなっているが)良心回路が不完全であり、それゆえに正義と悪の間で揺れ、自らの不完全さに苦悩する存在の表れである、と設定したのだ。
ここに、作られた機械でありながら、不完全な良心を持ってしまったことで苦悩する、異形の人造人間というそれまで誰も見たことがない設定のロボット・ヒーローが誕生した。

「仮面ライダー」初期で描かれた、本郷猛が人ならざるものになってしまったがゆえの苦悩は、藤岡弘氏の事故に伴う一文字隼人への主役交代と陽性なドラマ展開への路線変更で「仮面ライダー」からはほぼフェードアウトすることになり、子供の憧れ、頼れるヒーローとして不屈の精神を持つ存在こそが仮面ライダーである、と描かれるようになっていた。
それを受けた上での新作であり、「仮面ライダー」と同ジャンルであるがゆえに差別化を測らねばならない宿命を背負った「人造人間キカイダー」は、ヒーローの持つ孤独や苦悩を改めて描き直すために、悪と同じ出自である、というだけでなくその精神性も不完全なものであり、いつ悪に転んでもおかしくない不完全なロボット・ヒーローとしてキカイダーというキャラクターを設定し、悪の誘惑に耐えようと苦悩する姿を描こうとしたのである。

「ジロー」

キカイダーは人間体として「ジロー」という姿を持つ。
この姿では「良心回路」は不完全にしか作動せず、それゆえダークの首領、プロフェッサー・ギルが弾き鳴らすギルの笛の音色によって良心回路が異常をきたし、悪へと墜ちそうになる。
ジローは機転を利かせ、あるいは偶然に助けられギルの笛の音をカットしキカイダーへ変身。
キカイダーになれば良心回路が完全に起動してギルの笛の音も効かなくなる。
ギターの音色とともに現れ悪を倒すと再び何処かへさすらいの旅を続けるその姿は、死亡した光明寺博士の長男「タロー」をモデルにしたもの。
ある意味でタローの「代替品」にすぎないその出自は、明確に本物の兄たちの「代替品」に過ぎない宿命を背負ったヒーロー「宇宙鉄人キョーダイン」の設定の萌芽も感じさせる。

ジローの目的は記憶喪失で行方不明になった生みの親、光明寺博士を発見し、彼を娘のミツ子とマサルの兄弟と再会させること、そして悪の秘密結社ダークの世界征服を阻止することである。
「人造人間キカイダー」というドラマの縦軸は、ダークの怪物ロボットとキカイダーの死闘の中、すれ違い続ける光明寺一家が再会を果たす日まであてなき旅を続ける、というものだ。
記憶喪失になった光明寺博士は行く先々で職を転々としながら、自らを狙うダークの執拗な追跡から逃亡し続ける。ミツ子とマサル、そしてジローは彼の足跡を追って果てなき旅を続けるというフォーマットが、全43話全ての話で一貫して展開されている。

そしてそれと並行して展開したのが、良心回路を完全なものにし、愛するジローを完全なロボットにしたいと願うミツ子と、それを拒むジローとのすれ違いのドラマである。
ジローは当初より自らの良心回路を完全なものにしたい、完成したロボットになりたい、ということは願っていなかった。しかしミツ子の言うように、作られた機械なら完全に動作するようになった方がいい、と思うのが自然なことだ。
だがジローはそれを拒む。それは「完成した機械になることは、不完全な心を持つ人間から遠ざかることである」という考えによるものであった。
ここに「人造人間キカイダー」という作品の勘所が存在する。

「良心回路」というものが本当に存在するとして、「完全な良心回路」とは一体何だろう。
完全な良心、完全な正義―。口で言うのは簡単だが、その「正義」は誰が判断するものなのか。もし「良心回路」自身が「正義」を規定し、自らの正義こそ唯一無二の価値観、とするならば、それは独善に過ぎない。人間の正義はそれぞれがそれぞれの良心に従って規定するもので、それはひとりひとり異なっているのが当たり前だ。
人間が持つ良心とは、一面から見れば善、反対から見れば悪。そう、キカイダーのデザインの特徴である善と悪、青と赤に分かれた姿のように、極めて不完全なものと言える。

ジローが良心回路の完成を拒んだのは、どの面から見ても完全である「良心」が、とても人間のものではないことを、不完全な良心回路を得たがゆえに悟っていたからなのだろう。
ジローは人間に近い存在でありたいがために不完全であることを選択し、それゆえジローを愛するがために完全な人造人間として完成させたいミツ子とすれ違い続ける。
このすれ違いの人間ドラマを通して、ミツ子がヒロインとして一貫して機能し続けたことが、「人造人間キカイダー」というドラマの秀逸な点である。
一方で、ジローの不完全でいたいという選択が全て肯定されるわけでなく、不完全でいたがゆえについにギルの笛の誘惑に負けてしまい、操られるまま光明寺博士を襲ってしまう最悪の事態を招く、という展開が用意されているのがまた秀逸な点だ。
ジローの、不完全な人造人間でいたいという選択が全て正しい訳では無いというままならなさが、ジローの不完全な良心を巡る苦悩をより深いものにしていると言えよう。

「あてなく続く旅だけど」

「人造人間キカイダー」が前後作と比べて特筆すべきなことに、全43話における縦軸が一貫していること、そして終盤のクライマックスにおける展開が1話完結を脱し連続ドラマとして成立していることが挙げられるだろう。大きな路線変更・設定変更なく、光明寺博士を求めてのあてなき旅というロード・ムービー要素が一貫して展開されたことはこのドラマのフォーマットの完成度があまりにも高かったことを証明している。
「仮面ライダー」のメインライターにして数々の東映ヒーローの立ち上げを担当した脚本家、伊上勝氏によってその基礎を敷かれたこのフォーマットは、伊上勝氏からメインライターを交代した脚本家、長坂秀佳氏のドラマ志向脚本を得たことで円熟し、未だ変身ヒーロー黎明期と言える当時において「人造人間キカイダー」を、一話完結のアクションドラマとしての純度を高めていった「仮面ライダー」とも違う、独自の輝きを持った作品として完成させている。

光明寺博士を追ったさすらいの旅に関わることになったのが、私立探偵、ハンペンこと服部半平である。お金と美女に弱く、時にはお金を目当てにダークに雇われることすらある彼だが、最低限の義侠心は持っており、光明寺博士を求めて旅を続けるミツ子やマサルの姿に心を打たれ、旅の仲間として協力することになった彼は、いわゆるコメディリリーフキャラクターとして設定されながら、独特の金勘定にシビアな面やリアリストな面、ミツ子やマサルの境遇に同情し彼女たちを助ける善人の面…と非常に多面的なキャラクターとして描かれ、高い人気を獲得した。
後に同様のポジションとなることを目論んだコメディリリーフキャラクターは多くいるが、彼ほどの人気を獲得したキャラはいないことが、彼のキャラクター像の秀逸さを物語っている。
ジローにとっても、ジローへの恋愛感情のあまり目が眩むことがあるミツ子や、父恋しさや過酷な旅に自暴自棄になることもあるマサルと異なり、対等に話せるハンペンの存在が果てしなき戦いの日々の救いであったことは間違いない。
ハンペンというキャラクターの成功は、数多くの作品の立ち上げに関わり、多くの名物キャラのキャラを立たせてきた伊上勝氏によって創造され確固としたキャラクター性を獲得し、長坂秀佳氏による肉付けで人間味を増した、メインライターの交代がなし得た奇跡とも言える。

光明寺博士を求めてのさすらいの旅は、ジローがついにギルの笛の誘惑に負け操られてしまい光明寺博士を襲ってしまう、という衝撃の展開を見せた36話「狂ったジローが光明寺をおそう」以後、一話完結フォーマットから脱し、ダークロボットこそ毎週異なるロボットが襲撃してくるものの、ドラマとしては連続した連続ドラマとして結実する。
光明寺博士を襲ってしまったジローが警察から追われ、ともに旅をしてきたマサルからは父の仇と疑われ、収監され過酷な環境に置かれても人間でないロボットであるがゆえに「モノ」としか扱われない、ロボットが主人公のドラマならではのハードな展開に突入する。ジローがマサルからの信頼を回復し、光明寺博士を無事に救出して自らにかけられた疑いを晴らす、36話をきっかけに起こった問題の解決は最終回まで克明に描かれており、終盤の連続ドラマを見事に完成させているのが「人造人間キカイダー」の美点であることは確実だろう。

「悪魔が今日も笛を吹く」

キカイダーと戦う悪の秘密結社、「ダーク」。
その首領となる狂気の天才科学者が「プロフェッサー・ギル」だ。
先行する「仮面ライダー」のショッカー首領がその姿を表さず影から改造人間や大幹部に指示を出し世界征服を企む謎に満ちた存在として描かれていたのとは対象的に当初よりその存在を表していたプロフェッサー・ギルは、「ダークに生まれし者はダークに還れ」という言葉とともにギルの笛を吹き、ジローの不完全な良心回路を悪に染めようとする。
冷徹で裏切り者を許さない、まさに悪の帝王であったプロフェッサー・ギルだが、キカイダーによって光明寺博士が作った13体のダーク破壊部隊、そして自ら作ったダーク新破壊部隊のロボットたちが次々と打ち砕かれていく中で狂気へと染まり、やがて何よりもキカイダー抹殺を優先するようになる。その妄執がとある悲劇の人造人間を生み出すことになる。
それは後述するとして、ギルの狂気は安藤三男氏の怪演で見事に表現され、悪の総帥でありながら追い詰められることに恐怖を覚える、弱き「心」を持つ存在として描かれていたのも、「心」をテーマにした作品の敵役ならではのキャラクター造形と言えよう。

「心」をテーマにした作品である「人造人間キカイダー」では、敵役であるダークロボットの中にも、忘れがたい「心」を見せたロボットがいる。
第11話「ゴールドウルフが地獄に吠える」に登場したゴールドウルフは、普段は人間の姿をしているが、月の光を浴びるとギルに埋め込まれた「月光回路」が作動し怪物ロボットになってしまう。光明寺博士によってジローのものよりもさらに不完全な良心回路を取り付けられていた彼は、正義としても悪としても不完全なアンドロイドという悲劇を背負っていた人造人間だった。
ジローも怪物ロボットと化してしまったゴールドウルフを必死に説得するものの、月光回路の上からギルの笛の音でさらに凶暴化したゴールドウルフを止めることは出来ず、やむなくキカイダーによってゴールドウルフは倒される。爆発する寸前、月が雲に隠れ正気を取り戻しながら散った彼の姿に、キカイダーは機械の身でありながら涙を流すのであった。
長坂秀佳氏によって紡がれた不完全な「良心」を持つ人造人間の悲劇のエピソードを通し、同じく不完全な良心回路しか持たないジローが背負う悲劇性が、ジローの鏡写しとも呼べる存在のゴールドウルフを通して描き切られており、「人造人間キカイダー」というシリーズの「心」を描いたドラマ路線を決定づけたエピソードであると言える。

ロボットにも「兄弟」を意識する心があり、それゆえ訪れた悲劇を描いたのが第33話「兇悪キメンガニレッド 呪いの掟」に登場したカブトガニエンジとキメンガニレッドだ。
カブトガニエンジは第19話「死神獣カブトガニエンジ参上!」に登場したもののキカイダーに敗れたダークロボットであり、それをベースに作られた「弟」であるのがキメンガニレッドだ。
一度は修理されながら、後継機であるキメンガニレッドの完成で用済みとなり幽閉されていたカブトガニエンジは脱走し、汚名返上とばかりにキカイダーに挑むが、やはりキカイダーには敵わない。しかしその境遇を哀れんだミツ子は、カブトガニエンジを助けるのだった。
当初はそれを恥と感じていたカブトガニエンジだったが、ダークの制裁を与えるため現れたキメンガニレッドにミツ子ともども捕らえられてしまう。
キメンガニレッドによってミツ子の処刑が行われようとしたその時、カブトガニエンジはミツ子の前に立ちキメンガニレッドの攻撃から彼女をかばうのであった。
ダークロボットであるカブトガニエンジには、もちろん善の心である良心回路はない。
しかしミツ子の優しさが彼が持つ心に何かの影響を与え、ミツ子を救う行動を取らせた。不完全な良心に悩まないロボットであるがゆえに、まっすぐにミツ子のために命を散らせたのである。
かつてキカイダーと戦い敗れた、いわゆる再生怪人のカブトガニエンジを主役にここまで濃厚な「心」のドラマを展開させた手法があまりにも見事であると言える。

続く第34話「子連れ怪物 ブラックハリモグラ」では、怪物ロボットのダークロボットにも親子の情がある、という驚きの展開で、敵側にフォーカスしたドラマが繰り広げられる。修理用アンドロイドとして「子供」の子ハリモグラを従えるブラックハリモグラは、作戦中にダークを裏切る行動をしてしまった子ハリモグラ助命のため単身キカイダーに挑む。
そう、この回においてキカイダーは親子の絆を阻む存在に過ぎないのだ。
結果的にブラックハリモグラはキカイダーに敗れ、そして子ハリモグラもその後を追うかのように足を滑らせ崖に落下、爆散するという悲劇を迎える。「親子愛」という感情を確かに持っていたこのダークロボット親子の悲劇が描かれた第34話の次回予告において、事件が起きる。
鳴り響く「ハカイダーの歌」。ナレーションが黙して語らぬ中、黒い閃光が荒野を駆けていく。
そう、至高のダークヒーロー、「ハカイダー」の登場である。

カブトガニエンジとキメンガニレッド、ブラックハリモグラ親子といった、怪物ロボットでありながら「愛」と「心」を持った者たちのドラマで、この作品に登場する人造人間は「心」を持つ存在であるということが強調されていき、その頂点として登場したのがハカイダーだったのだ。
怪物ロボットにも兄弟の絆が、そして親子の絆が存在する。
ダークロボットもまた、ただの怪物ではなく心を持った存在であることを強調する33、34話から、自らのアイデンティティのために強迫観念にかられる、あまりにも人間らしい心を持つハカイダーの登場につなぐ構図は、ダークロボットの心を描いてきたがゆえの必然だった。
不完全な良心回路こそ人間らしい心であると信じるジローだけでなく、彼らなりの「心」を持って生きるダーク破壊部隊の姿を通して、この作品のロボットは心を持つ存在であることを強調したゆえに、人間以上に自らの存在意義に悩み苦しむハカイダーの登場がドラマの盛り上がりを受けた必然の展開ですらあるのは圧巻の構成である。

「俺の使命 俺の宿命」

「人造人間キカイダー」最大の発明にして後作にも影響を与えたのはなんといってもダークヒーローの原点にして頂点と言わしめる存在、「ハカイダー」であろう。
ヒーローであるキカイダーと同様のネーミング、左右対称の端正なデザイン、クールな佇まい。
彼の姿をひと目見たものは、誰しも彼が他のダークロボットとは別格の存在であると理解するであろう、黒に身を染めたシャープなその姿は、キカイダー抹殺のため「だけ」に生み出された最強の刺客であることを、そのルックスだけで証明してみせた。

「良心回路」と対をなす「悪魔回路」を内蔵し、あらゆる機械を破壊する高周波弾を打ち出すハカイダーショットでキカイダーを狙い、その抹殺のためだけに動きながら、己の美学に拘り一対一での対決によるキカイダーの破壊を狙うその妄執は、既に「自分がキカイダーを倒さなければ『ならない』」という強迫観念になっており、自らの存在意義をキカイダー打倒に依存する危うさも備えていたあまりにも多面的なそのキャラクター造形は、それまでのヒーロー番組の敵役の造形の解像度を一瞬にして変えてしまった。
主人公ヒーローと同等、あるいはそれ以上のパーソナリティ造形をもってその美学が描かれる、「ダークヒーロー」というジャンルの敵役をハカイダーは成立させたのである。

ハカイダーというキャラクターの設定で優れているのが、頭部に備えた脳髄の設定だ。
光明寺博士から取り出された脳を頭部に内蔵しているハカイダーにとって、この光明寺博士の脳はキカイダーに攻撃させない人質であり、定期的に血液を交換しなければ脳が死んでしまい戦闘能力が激減するという弱点にもなっている。
主人公ヒーローを圧倒するほど強い悪役が主人公を追い詰めながら、とどめを刺すにいたらない理由付けとしてこの脳の血液交換の設定はあまりにも秀逸であり、同時に囚われの光明寺博士の肉体をダークが始末できない理由付けにもなっており、物語上の説得力ある理由となっている。

ハカイダーが秀逸なのは、そのデザインもだろう。
ハカイダーは完全である。完全な「悪」である。
それゆえに不完全な「正義」であるキカイダーと違い、左右対称の整った姿をしている。

ハカイダーというキャラクターが、ただかっこいいだけの悪役だけならば、ダークヒーローの原点であっても頂点とまではならなかっただろう。ハカイダーの真骨頂は、主役ヒーローであるキカイダー以上の哀愁と悲劇に満ちた破滅のドラマを描ききったことにある。前述した通り、ハカイダーはキカイダーを抹殺するため「だけ」に生み出されたロボットである。そしてそれはもはや強迫観念、自らの存在意義としてキカイダーを自らの手で破壊しなければ「ならない」という意識にまで達していたがゆえに悲劇が起きる。
ダーク破壊部隊が作り出した怪物ロボット、アカ地雷ガマ。触れたものを巻き込んで爆発、触れたものを木端微塵にする、「地雷」という兵器の持つ理不尽さの化身とも言えるこのロボットに挑んだことで、我らがキカイダーがついに木端微塵になってしまう。
それを目の当たりにしたハカイダーはキカイダーを倒したアカ地雷ガマと勝負しなければ「ならない」とアカ地雷ガマに勝負を挑み、ハカイダーショットでアカ地雷ガマを破壊する。しかし宿敵であるキカイダーを自ら倒すことも出来ず、アカ地雷ガマも倒した彼には、キカイダーを抹殺するため「だけ」に生まれた彼には、他に何も残っていなかった。
こんな姿でこれからどうやって生きていけばいいんだ、と苦しむハカイダーの怒りと憎しみはやがて、自らをキカイダーを抹殺するため「だけ」に生み出したプロフェッサー・ギルへと向かい、ハカイダーはプロフェッサー・ギルに大反逆を起こすのだった。

自らの存在意義を見出そうとする「心」を持ちながら、特定の目的のため「だけ」に生み出されてしまったがゆえに、その目的が失われたことで自らの存在意義をも見失い、狂うハカイダー。
キカイダーはミツ子たちによって修理されるものの、ハカイダーはキカイダーと決着をつけられないまま、ダーク破壊部隊最強のロボット、白骨ムササビによって一瞬のうちに破壊される。
倒されたハカイダーは、ジローの胸の中で「どうせやられるならお前にやられたかった」と最期の言葉を残し、その命を散らせるのであった。

ハカイダーを通じて描かれたのは、「心」を持ってしまったがゆえに狂わなくてはならなかった機械の悲劇と、ある目的のためだけに生み出された存在の末路だった。
主人公であるジロー=キカイダー以上の悲劇性を持って描かれたその生涯があったからこそ、彼はダークヒーローの原点にして頂点として今もその名を輝かせている。

「春くれば」

悲劇の人造人間・ハカイダーの末路をもって「心」を持った機械の悲劇を描いた「人造人間キカイダー」はクライマックスとなり、ダーク破壊部隊最後の戦士である白骨ムササビを倒してダークを壊滅させ、ハカイダーから脳を取り戻した光明寺博士を救ったキカイダーは、スイスで家族一緒に新しい生活を始めようとする光明寺一家と別れ、1人精神を鍛えるさすらいの旅に出る。ジローとミツ子の恋もまた、すれ違ったまま終わりを告げたのである。

「人造人間キカイダー」とはなんだったのか、ということを考えれば、石ノ森章太郎氏の萬画において描かれた「心を持った機械の悲劇」を、アクションドラマのフォーマットに落とし込んで表現することに成功した、石ノ森イズム、をひときわ反映した作品であることが挙げられるだろう。ジロー=キカイダーやハカイダーだけでなく、時折登場するダークロボットもまた、単なる怪物ロボットではなく心を持った存在であることが強調して描かれた。
そこには、「心を持った機械」というSF的な設定を通して、われわれ人間が持つ「心」の在り方を描こうとした試みが見られる。「完全な機械になりたくない」がゆえに、不完全なまま在ろうとするジロー。自らの存在意義を失いアイデンティティ・クライシスに陥るハカイダー。子の助命のため命をかけ親子愛を証明したブラックハリモグラ。自らの誇りのために戦い敵の手にかかることすら拒み自ら命を断ったモモイロアルマジロ。その他にも多くのロボットがそれぞれの「心」を持って作品世界を生き、散っていった。人間ではない彼らの「心」が、我々人間の心の在り方をありのままに描いたのである。

「人造人間キカイダー」は決してテーマ性だけに特化した作品ではない。
1話毎に異なるダークロボットが現れ、ギルの笛による変身不能からの逆転、キカイダーの活躍が毎回描かれた痛快アクション活劇である。そこに添えられたドラマには確かなテーマ性が宿ると同時に、43話もの長いシリーズを一貫した物語で描ききった連続ドラマとしての高い完成度が融合し、「仮面ライダー」と並び今もなおヒーロー作品史にその名を残す名作が誕生したのである。そこで描かれている「心」の在り方は今も決して古びることはない。

「人造人間キカイダー」は、2023年7月現在では東映特撮ファンクラブ、あるいはU-NEXTにて全話有料見放題となっている。心を持った人造人間のさすらいの旅を、ぜひ再び目撃していただきたい。あの幸せがまたここに、あの花園がまたここに、還ってくるはずだ。

幸せを掴むのは、いつの日か。
ジローは行く。果てしなき戦いの道を―。

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