「特救指令ソルブレイン」感想メモ(1) ~哀しき老人たちの心を蝕んだ、『正義中毒』という病~

2023年7月16日日曜日

レスキューポリスシリーズ 感想 特救指令ソルブレイン

t f B! P L

 「『心』を救う、重すぎる使命」

犯罪が高度化した時代。
人の命と心を救うために、自らの青春をかけて立ちあがった若者たちがいた。
それが、特装救急警察である!

「特救指令ソルブレイン」は、「メタルヒーローシリーズ」として知られる東映特撮ヒーロー作品群の第10作目にして、前作「特警ウインスペクター」に端を発する「レスキューポリスシリーズ」の第2作目となる特撮ヒーロー作品だ。
「特警ウインスペクター」は、当時世相を騒がせていた暴力事件の影響を受け、こうしたヒーロー作品の暴力描写にも批判的な目線が寄せられていたという背景から、悪を倒すだけが正義の在り方ではない、と示すべく、ヒーローが持つ「力」を、悪の怪人を倒すために使うのではなく、高度化した科学犯罪や災害の被害から力なき人々を救うために使うという斬新なコンセプトのもとにその企画が成立し、ヒーロー作品らしいSF設定と、刑事ドラマを意識した、現実の世相を反映するハードなドラマを融合させた独自の作風を作り上げた。
その重厚なドラマとウインスペクターが使うレスキューツールのデザインが持つ未来的なカッコよさ、そしてヒーローの持つ「力」を、命を救うために使うというコンセプトは幅広い年代から支持を受け、「宇宙刑事シリーズ」以後、大きな流れを構築できていなかった状況を打ち破り、続編の制作が決定。同様のコンセプトを持った「レスキューポリスシリーズ」を成立させた。

こうして制作された「特救指令ソルブレイン」。
そこでは、「特警ウインスペクター」最終回「翔べ希望の空へ!」での、ウインスペクターが最初に逮捕した犯人が脱獄、ウインスペクターへの怨恨から新たな事件を起こすという展開を受け、ただ犯罪者の犯罪に巻き込まれ被害を被る人命を救うだけでは真のレスキューではない、事件を起こした犯罪者の歪んだ心をも救い、再犯を防いでこそ本当の意味で人命を救うことに繋がる、というテーマのもと、「命だけでなく人の心をも救う」ヒーロー像が目指された。
「特警ウインスペクター」の好評を受け世界観やキャラクターを続投させただけでなく、新たなる組織である特装救急警察ソルブレインは、ウインスペクターが果たせなかった真のレスキューを目指すという、ヒーローの行動理念をも受け継いだ完全な続編として展開されたのである。

そして、「特救指令ソルブレイン」制作陣は、「心」を救うレスキュー、というテーマにあまりにも真摯に向き合った。真摯に向き合った結果、人間が同じ人間の「心」を救うことなど出来るのか、という袋小路にたどり着いてしまった。
その結果、「特救指令ソルブレイン」は、「特警ウインスペクター」をも超える、重く苦しい、「心」を救うという行為の困難さを正面から描いたエピソードをいくつも制作する。
今回はその中から、第10話「わしら純情放火団」を取り上げ、独立した記事としたい。

「マッチ一本愛の鞭」

警視庁特別救急警察隊ウインスペクターの、日本における最後の事件が残した教訓を受け、ウインスペクター本部長正木俊介が、人の命を救うだけでなく犯罪者の心をも救う新たな組織として設立した、特装救急警察ソルブレイン。
その隊員である警部補・増田純は、ある日、バイクで暴走する若者に絡まれている老人を助ける。
岡田というその老人は、先日無遅刻無欠勤で尽くした職場を定年退職し、再就職のために面接へ向かう途中だった。戦後の焼け野原を復興させるために身を粉にして働いたのに、職場の若者たちにはその苦労も理解されず、送別会も開いてもらえなかったことに寂しさをのぞかせる岡田。
その身の上話を聞いた純は岡田に同情し、このまま世間が老人を大切にしなければ、いつか反乱が起きると、先達に敬意を示さない社会に懸念を示していた。

岡田が再就職の面接に向かった会社・あけぼの社。
そこで岡田は、社長の須藤からあけぼの社が放火を仕事にしているという信じがたい話を聞く。
須藤は先達に敬意を示さず蔑ろにする若者たちに罰を与え、老人たちが味わった焼け野原から復興する苦労を味わわせるために放火を行っているのだ、と言う。
彼のもとには既に数人の老人たちが集まっており、何件もの放火を実行済みだった。
須藤の話を聞き、先程自分を襲った暴走族の若者たちや自分を顧みなかった会社の若者を思い出した岡田は、須藤の説く若者と社会への復讐という理念に同調し、あけぼの社に加わる決意をする。
かくして、若者と社会への「愛の鞭」というお題目を掲げながら、その実、若者と現代社会への怨恨を晴らすために放火を行う「老人放火団」が結成されるのだった。

ここまでの展開で、既にもはや子供向けの特撮ヒーロー作品で展開されているとは思えない、若者や社会への不満という個人的な感情を、若者たちに「愛の鞭」を与えるという歪な「正義」というオブラートに包むことで正当化し、それまで善良に生きてきた老人たちが犯罪に手を染めるという、あまりにも哀しく、あまりにも重いテーマを持った物語が展開されているのがわかる。
自分たちのことを敬わず、蔑ろにする若者への怒りを、若者のことを思うがゆえの愛の鞭、という「正義」を振るうことで解消しようとし、怒りの発散のための犯罪を愛の鞭という「正義」の鉄槌だと確信して実行に移す孤独な老人たち、という構図は、超高齢化社会を迎えようとしている現在だからこそ、より重いテーマ性となっていると言えよう。

自分たちの放火は、若者たちのためを思って苦労を味わわせるために行う愛の鞭、という「正義」を掲げ、笑いながら次々に放火を行う老人放火団の姿からは、自分たちの正義に酔いしれ、若者たちを罰することに快感を覚えているような印象も受ける。
それは2023年現在の目線から見ると、現代のSNSなどで見られる、過ちを犯した人間に対して、直接関係ない人間たちが過剰なまでの怒りを燃やし、「こいつは悪いことをしたのだから罰せられるべき」と過剰なまでの攻撃を行う、「正義中毒」という概念をも連想させる。

「邪悪」に対して「正義の制裁」を加えることで快感を覚える「正義中毒」の人々は、常に正義の怒りを燃やす対象を探し、過ちを犯した人間を見つけては正義の鉄槌を下す。そこには攻撃の対象になった人の心を追い詰める罪の意識は存在せず、自分は過ちを犯したことに対する正当な報いを味わわせているだけだ、という、自分たちの「正義」に酔いしれる構図が見られる。
老人放火団の面々は確かに若者に蔑ろにされてきたのかもしれない。
しかし彼らが放火を行う対象としてきたのは、決して彼らと面識があるわけではない、無辜の人々である。「若者」全てが自分たち老人を蔑ろにする「邪悪」であると認定し、愛の鞭を与えるという「正義」に酔いしれ、若者だけでなく多くの人々の幸せを奪う放火犯罪を笑顔で実行する彼らは、「正義中毒」という現代人を蝕んでいる心の病に侵されていた、とも言えよう。

岡田たち老人放火団は若者たちが暮らすマンションに次々に火をつけ、連続放火事件を起こす。
ソルブレインは連続放火事件の捜査を行う中で、現場に居合わせた人々からの情報から、純が出会った岡田が放火現場に居合わせていることを知る。
そして、放火の被害にあったマンションが、どれも数々の黒い噂を持つ不動産王・桜木が所有しているものであったことを突き止めたソルブレインは、岡田が面接を受けた「あけぼの社」とその社長である須藤が放火の裏にいるという事実にたどり着くのであった。

「恨みに燃える真っ赤な炎」

数々の放火を成功させた老人放火団に、須藤は次の目標として高級マンションの放火を指示する。
そこは腐りに腐った金持ちの巣であると語る須藤に、岡田はどういう基準で放火場所を選定しているのかと疑問をぶつける。須藤はその答えとして、一連の放火事件を起こした真の目的を語る。
それは、数々の悪行に手を染めてきた桜木への復讐だった。

かつて、桜木の財を成すための悪行の被害に遭った須藤の父は一家心中を決意、自宅に放火した。須藤は顔に大火傷を追い、片足を失った。そして、彼の両親と妹はそのまま帰らぬ人になった。
そして生き延びた須藤も、その後遺症で表社会で生きていくことが出来なくなった。
須藤は家族を死に追いやった桜木への復讐のため、桜木が持つビルに次々放火させていたのだ。
老人放火団の面々は、須藤が復讐のために自分たちを利用してきたことに動揺しながらも、その境遇に同情し、須藤のためではなく自分たちのために放火を行うことを決意する。
桜木こそが自分たちを追い詰めた腐りきった日本の象徴である、と確信しながら。

岡田たち老人放火団は、放火という愛の鞭、正義の鉄槌を行っていく中で芽生えた、共犯関係だからこその絆、同じく社会に居場所がない孤独を抱えた同士だからこその同族意識で結ばれていた。
そして何より、「正義中毒」に陥っていた彼らは、須藤の家族の復讐を、腐りきった日本を正すための行為であるとして、放火という「正義の鉄槌」を振るうための「大義」とした。
岡田が須藤に語った、次の放火は須藤のためではなく自分たちのためだ、という言葉は、須藤の心情を慮った言葉であることも確かだが、同時に「正義の鉄槌」を振るうための大義を得た、という点では言葉通り自分たち自身のためであったと言える。
若者たちへの怨恨を晴らす放火を、若者たちの将来を思った愛の鞭という「正義」に置き換え、怨恨を晴らすと同時に正義の鉄槌を振るう快楽に酔いしれていた彼らにとって、家族を失った須藤の復讐は、さらなる「正義の鉄槌」を振るうための好機でしかなかったのだ。

「腐った日本を焼き尽くせ」

こうして歪な絆で真の団結を見た老人放火団だったが、突如須藤は苦しみ始める。
須藤は心臓病に侵されており、既に余命幾ばくもない状態だったのだ。
もはや復讐のために残された時間は少ない。老人放火団は最後の作戦に出ることを決意する。

一方、ソルブレインはこの連続放火が須藤の桜木への怨恨からの犯行であると看破。
須藤があけぼの社の老人に命じ、放火だけでなく桜木本人を狙った行動を起こすと予測して桜木の自宅を警護していたが、老人放火団は二手に分かれ放火と桜木の拉致を同時に実行。
放火を行った面々はソルブレインによって逮捕され、放火は実行寸前で阻止された。
だが、その隙に桜木は岡田たちに拉致されてしまう。

桜木と対面した須藤は自らと桜木を手錠で繋ぎ、あけぼの社のアジトだった倉庫に火を放つ。
両親と妹の苦しみを桜木に味わわせ、自らも家族の元へ逝こうとする須藤を止めるべく現場に急行したソルブレインの前に、火炎瓶で武装した岡田たちが立ちはだかる。
だが、ソルブレイバーはケルベロス△でそれを制圧し、倉庫の火災を鎮火する。
桜木は火災で発生した有毒ガスを吸いながらも一命を取り留める。
だが、須藤は心臓病で既に息絶えていた。
それを目の当たりにした岡田は、「腐りきった日本」の桜木だけが生き延びたことに落胆する。

戦後の復興のために身を粉にしてきた自分たちの苦労を理解しない若者たちと、自分たちを顧みない腐りきった日本への怨恨をなおも口にする岡田。
だが、純は彼らの苦労を改めて労りながらも、彼らが行った行為は断じて間違っていると諭す。
現場に駆けつけた正木本部長は、純に、岡田たちに手錠をかけることを指示する。
岡田たちは、自分たちを諭す純の言葉を受け、自分たちの苦労を理解する若者もいることに心を救われたのか、抵抗することもなく手錠をかけられるのだった。

こうして、老人放火団による連続放火事件は終わった。
しかし純は、正木本部長に問いかける。
善良に生きてきた彼ら老人たちがなぜ自分に手錠を打たれることになったのか。
誰が、何が老人たちを追い詰めたのか。誰も、その問いに答えることはなかった。

純の悲痛な問いに、ソルブレインが誰も答えを出すことが出来ないまま終わるこのエピソードは、「特救指令ソルブレイン」という作品が内包した、「心を救う」というテーマに真摯に取り組んだ制作陣の、真摯に取り組みすぎたがゆえに到達してしまった、答えのない袋小路の象徴でもある。
ソルブレインは、純は岡田たちの心は救うことが出来たのかもしれない。しかし、彼らを実行犯として放火に駆り立てた須藤の心には、何の救いももたらされることはなかった。
須藤を追い詰め、須藤一家を死に至らしめた元凶である桜木は、この連続放火事件においては単なる被害者でしかなく、過去の悪行について裁かれることもないままだ。

己が復讐のために孤独な老人たちを煽り、連続放火と拉致監禁の罪を背負わせた須藤に救いがもたらされることは相応しくないのかもしれない。
しかし、ソルブレインの理念とは、犯罪者であろうとも命は救われるべきであり、その心を救うことで真の事件の解決を図ることにこそあったはずだ。
実行犯である老人放火団の心こそ救えたが、その黒幕である須藤の心に救いの手が伸ばされなかったことは、ソルブレインという組織の理念の敗北であるとも言える。
それは、復讐に駆り立てられた人間の心を、同じ人間が救おうとすることの困難さをも証明しており、「特救指令ソルブレイン」という作品が掲げた「心を救う」というテーマに真剣に向き合ったからこそ、復讐に囚われた犯人の心を説得して救えたという安易なハッピーエンドにしなかった制作陣の、作品テーマの追及への真摯な姿勢の現れとも言える。

「正義という快楽、その末路」


何が老人たちを追い詰めたのか、という純の問い。それに答えを出すことは確かに難しい。
彼らを敬わなかった若者が悪いのか?
しかし彼らの振るう「愛の鞭」の放火の被害に遭った人々は、彼らと関係ない無辜の人々だ。
須藤の一家を心中に追い込んだ、腐りきった日本の象徴である桜木が悪いのか?
だが桜木と老人放火団の面々には、須藤がいなければ接点など存在していない。
ならば須藤こそが悪いのか?
だが、須藤が説く理念に共感し、放火を行う道を選んだのは、老人放火団の面々自身なのだ。

結局、老人放火団の面々を追い詰めたのは、彼らの若者や現代社会への漠然とした不満を晴らす私欲の放火犯罪を、若者の未来のための愛の鞭だと正当化し、そんな愛の鞭、「正義」の鉄槌を振るう中で、「正義」を振るう快楽に酔いしれ「正義中毒」に陥ってしまった、彼ら自身の心だった。
「正義の鉄槌」を振るう彼らは、個人的な怨恨の発露でしかない放火を、若者たちへの愛の鞭という「正義」にすり替えてしまい、それを振るう快楽で孤独な境遇の心の隙間を埋めてしまった。
一度味わった快楽を手放すことは、そう簡単なことではない。
放火という愛の鞭、「正義」の鉄槌を振るう快楽に充足感を覚えてしまった彼ら自身の心が彼らを追い詰め、正義を振るう快楽が彼らを連続放火という犯罪に駆り立てたのである。

SNSで個人の意見を手軽に発信できる現代。
毎日のように誰かが過ちをSNSに発信してしまい、不特定多数の人々の間に拡散される。
そして、過ちを犯した者は不特定多数の人間の「娯楽」として消費され、過ちを犯したばかりに「邪悪」と認定されてしまい、別の誰かに「正義の鉄槌」を振るわれ、「正義」を振るう快楽を得るためのサンドバッグと化してしまう地獄のような光景が、毎日のように展開されている。
そして「正義」を一方的に振るう快楽に酔いしれたばかりに、その「正義」で誰かを傷つけることに何の疑問も抱かず、「正義」で殴りつけても良い「邪悪」を自ら探し続ける人も多く見られる。
「特救指令ソルブレイン」第10話「わしら純情放火団」が描いた、「正義」を振るう快楽に酔いしれ、他者を傷つける放火を正当化した結果、引き返せない罪を背負ってしまった老人放火団の姿は、高齢化社会への警鐘というテーマに加え、このSNS時代では、「正義中毒」に心を蝕まれる現代の人々への警鐘としての側面を得ることになったと思う。

「正義」を振るうことは気持ちいい。自分は社会正義に適合した、絶対的に正しい立場にある、ということは、人をどこまでも残酷にする。幾多の創作物でよく言われていることだ。
若者たちへの愛の鞭、という大義名分、「正義」に駆り立てられ罪を重ねていった老人放火団の姿が描いた、「正義中毒」という病に侵された人間の末路は、SNS時代の今だからこそ深い教訓を持って語られるべき物語となっている。

「特救指令ソルブレイン」は、東映特撮ファンクラブU-NEXTで有料見放題配信中だ。
「心を救う」というテーマに真摯に取り組んだがゆえの名作、問題作が続出するその重厚なドラマ展開は、今なお我々を魅了する。ぜひ彼らの苦闘の日々を見ていただきたい。
この星に生まれた人々の心を悲しみに染めないために、自らの青春をかけて犯罪と戦ったソルブレインの物語が、あなたの心にも何かを残すだろう。

手錠を打った純の心に、やりきれぬ、苦い思いが残った。
その苦さが、どこから来るものなのか。増田純、22歳の春の、辛い犯人逮捕だった。

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