「シン・仮面ライダー」感想メモ ~「仮面ライダー」はひとりではない~

2023年7月27日木曜日

シン・仮面ライダー 感想

t f B! P L

 「変わるモノ。変わらないモノ。そして、変えたくないモノ」

2021年4月3日19時30分、「仮面ライダー」第1話「怪奇蜘蛛男」放送から50年。
仮面ライダー生誕50周年を記念した仮面ライダー生誕50周年記念企画発表会が開催された。
「仮面ライダーW」の続編として連載されていた漫画作品「風都探偵」のアニメ化、「仮面ライダーBLACK」のリブート作品、「仮面ライダーBLACK SUN」の制作が発表される中、最後の企画として一つの映画作品の製作が発表される。それが、「シン・仮面ライダー」だった。

アニメーション作品「新世紀エヴァンゲリオン」で社会現象を巻き起こし、2016年には日本が誇る特撮作品「ゴジラ」を新たな解釈で描きなおした「シン・ゴジラ」の脚本と総監督を務めた、庵野秀明氏が脚本・監督を務めた「シン・仮面ライダー」。
それは、「50年前にテレビ番組から受けた多大な恩恵を、映画作品として50年後に少しでも恩返しをしたい」という庵野秀明氏の想いをを込めて企画され、「子供のころから続く大人の夢を叶える作品を、大人になっても心に遺る子供の夢を描く作品を、東映生田スタジオと石ノ森章太郎が描いていたエポックメイキングな仮面の世界を現代に置き換え、当時の映像を知らなくても楽しめるエンターテインメント作品を目指す」ことを目標に制作された。

原典となる「仮面ライダー」の節目となる日付に合わせて情報を解禁していった「シン・仮面ライダー」は、「仮面ライダー」第98話=最終話が放送された1973年2月10日から50年後の2023年2月10日に予告編と公開日を発表。2023年3月17日18時に、全国の劇場で最速公開を迎えた。
今回の記事では、「仮面ライダー」のTV版と、それを補完するべく描かれた萬画版のエッセンスを継承し、現代風に再解釈して新たな物語を紡ぎ、原典の「仮面ライダー」が持つ魅力を現代に伝えようとした「シン・仮面ライダー」について書いていきたい。

「怪奇クモオーグ」

とある山中を、男女を乗せた一台のバイクが駆け抜けていた。
改造オートバイ・サイクロン号を駆る男・本郷猛は、何者かによって捕らえられていたところを、謎の女性の手引によって脱出、逃走したが、追手に追跡されていたのである。
追手が仕掛けた罠で爆発に巻き込まれ崖下に落下した謎の女性・緑川ルリ子は、追手を指揮していた人外融合型オーグメント・クモオーグに捕らえられる。
組織の裏切り者を消すことを自分の仕事と語るクモオーグは組織からの命を受け、組織から逃走した緑川ルリ子と本郷猛を追跡し、捕らえようとしていた。
二度と組織を抜け出そうとする気を起こさせないためにルリ子の目を潰そうとしたクモオーグの前に、仮面をつけた男が現れる。それは、崖から落下したことで発生した風力をベルトの風車に受けることで本郷猛が変身した、昆虫合成型オーグメント・バッタオーグだった。
バッタオーグはクモオーグの配下の戦闘員を暴力のままに蹂躙し、ルリ子を救出して逃亡する。

ルリ子の用意していたセーフハウスに辿り着いたバッタオーグ=本郷猛は、自らの中で渦巻く残存エネルギーが起こす風の音を聴いていた。
そして人を殴り殺しても平気でいる自分に戦慄した彼は、グローブを脱いだ自分の腕が異形へと変貌をしていることや、仮面の下の自分の顔に巨大な傷跡が浮かび上がっていることに気づく。
一体自分はどうなってしまったのかをルリ子に問う本郷猛の前に、恩師でありルリ子の父である緑川弘博士が現れる。緑川博士は自分が本郷を組織を倒すための協力者に選び、本郷の体を生体エネルギー・プラーナによって超人へと変身する、昆虫合成型オーグメントにアップグレードしたと明かすと、本郷のベルトを操作して体内のプラーナを放出させ、本郷を人間の姿に戻す。
なぜ自分を選んだのか、と問う本郷。
緑川博士は本郷自身が力を求めていたからだ、と答えるのだった。

緑川博士は、彼らが抜け出した組織に本郷と同等のスペックを持つオーグメントが多数存在し、そのオーグメントたちは力を自分たちのエゴのために使っていること、そして本郷には力を自分のエゴのためでなく他人のために使って欲しい、と語り、組織を倒す協力を依頼する。
ルリ子は本郷のことは信頼しないが、アップグレードされた本郷の体の性能は信じるとし、バイク乗り、ライダーには必需品であると本郷の首に赤いマフラーを巻く。
ヒーローと言えば赤なんでしょ、と言うルリ子に、緑川博士は笑みを見せるのだった。

そこにクモオーグが現れ、本郷の身体の自由を蜘蛛糸で奪い、緑川博士の命を奪った。
身動きが取れない本郷の目の前で、クモオーグはセーフハウスに爆弾を仕掛けてルリ子を連れ去った。泡となって消えた緑川博士に「ルリ子を頼む」と言い残された本郷は、セーフハウスの爆発から逃れるとサイクロン号でクモオーグの後を追う。
サイクロン号に乗ったまま立ち上がり全身に風を受けた本郷は、風力によって大気中に存在する大量のプラーナを身体に取り込んでいき、再びバッタオーグに変身する。
そして、クモオーグとルリ子を載せた車の前にバッタオーグが立ちはだかった。
ルリ子からヒーローの象徴として巻かれた赤いマフラーを身に着けた彼は、自らを個人のエゴのために力を使うオーグメントではなく、他者のために力を尽くす「仮面ライダー」と名乗る。
仮面ライダーとクモオーグとの死闘が始まった。

糸を吐き、6本の腕による圧倒的な殺傷力を誇るクモオーグに苦戦する仮面ライダー。
他者を蹂躙して命を奪うことを幸せと語り、同じオーグメントとしてその幸せを分かち合おうと言うクモオーグに、仮面ライダーはそんな喜びは自分にはないと決然たる態度を見せる。
6本の腕に絡め取られながらも、空中高く跳躍してクモオーグを振りほどいた仮面ライダーは、必殺の蹴撃=ライダーキックでクモオーグとの戦いに終止符を打つ。
絶命したクモオーグの体は泡となって消えた。

意識を取り戻したルリ子は、組織の構成員は機密保持のために死ねばその肉体が泡となって消えることを語る。それは、本郷もルリ子も、死ねば遺体も残らないということを意味していた。
人を殺めたことに苦悩し、自らが振るった暴力に恐怖するように震える本郷に、ルリ子は本郷が人を殺める辛さを背負うことで誰かが救われ幸せになる、と人を守って戦うことの意味を諭し、「辛い」という文字に一本線を足せば「幸せ」になるのだと語る。
緑川を救えなかったことを悔やみ、自らが命を奪ったクモオーグの死を悼む本郷の姿に、ルリ子は本郷の心が、組織と戦うには優しすぎることを危惧するのだった。

映画全体における幕前~第1幕とされる「クモオーグ」編は、原典たる「仮面ライダー」第1話「怪奇蜘蛛男」へのリスペクトが随所に現れている。クモオーグの前にバッタオーグが初めて姿を現すカットは、「怪奇蜘蛛男」で仮面ライダーが初めて姿を現すカットが再現されているし、クモオーグとの決戦の際、ライダーを前に整列する戦闘員のカットも「怪奇蜘蛛男」で蜘蛛男が戦闘員を差し向けるシーンの再現だ。何よりも、仮面ライダーとクモオーグの決戦の場となった小河内ダムは、「怪奇蜘蛛男」での仮面ライダーと蜘蛛男の決戦の場所である。
原典たる「仮面ライダー」の魅力を現代に伝え直すことを志向した「シン・仮面ライダー」だからこそ、その始まりとなるクモオーグ戦で原典の「仮面ライダー」を強くリスペクトし、原典の精神を継承・再解釈するという宣言が、これらのリスペクトシーンでなされていると言えよう。

原典の「仮面ライダー」の本郷猛が望まぬ力を得て人ならぬ身にされたことに苦悩していたのに対し、「シン・仮面ライダー」の本郷猛は、「力を望んでいた」とされ、人ならぬ身になった苦悩もあれど、それ以上に変身することで暴力の加減がまるで出来なくなり、他者を殺めることに躊躇がなくなることを哀しんでいる。そして、自らの身体を勝手にアップグレードした緑川を恨むこともなく、むしろ最期に託された願いである「ルリ子を頼む」という想いに報いる行動を見せ、人を殺める辛さを背負いながらもルリ子を守り抜いている。

思えば原典の本郷猛も、人ならぬ身になった自らを哀しみながらもその絶望に支配されず、人類愛のために他者を蹂躙するショッカーと戦うことを決意した男だった。
「シン・仮面ライダー」の本郷猛もまた、自らの辛さや哀しみよりも、他者の心に報いるために行動できる、優しすぎるほどに優しい男として描かれている。
そこに原典の本郷猛から継承した人類愛や、他者のために自らの命をかけることが出来る高潔さが確かに継承されている。そして、自らが殺めたクモオーグの死を悼むように俯くその姿から、他者の命を奪う罪から目を背けず、その辛さと「悲しみを噛み締めて」戦う姿もまた、原典の本郷猛が持っていた自らしか為せぬ戦いの哀しみに耐える心を継承した描写と言えよう。

キャラクター造形こそ原典と異なれど、根底に流れる精神性を継承した上での再構成を行うことで、原典の「仮面ライダー」が描いた本郷猛という男の骨子を現代に描きなおしたこの見事な描写で、「シン・仮面ライダー」は幕を開けた。

「恐怖コウモリオーグ」

クモオーグを倒した本郷猛と緑川ルリ子は予備のセーフハウスに向かうが、そこで待ち受けていたのは政府の男と情報機関の男だった。
秘密組織・SHOCKERの排除を目的としていた政府の男は、ルリ子に情報提供と警護を引き換えに、SHOCKERの排除を手伝うように取引を持ちかける。
ルリ子はそれを承諾し、ここに政府公認のアンチSHOCKER同盟が結成された。

ルリ子は本郷や政府の男たちに、秘密結社SHOCKERの詳細について語り始める。
SHOCKER、正式名称「Sustainable Happiness Organization with Computational Knowledge Embedded Remodeling」とは、とある日本の大富豪によって制作された世界最高の人工知能・アイが、その大富豪の「人類を幸福に導く」という究極の指令に沿って演算を繰り返した結果、最大多数の最大幸福ではなく、最も深い絶望を抱えた人間を救済する行動モデルこそが人類が目指すべき幸福であると設定し、その行動モデルを実行するために設立した非合法組織である。
人工知能アイは、外世界を観測するために自ら作り出した自立型人工知能・ジェイと、ジェイがアップグレードしたケイを通し、絶望を抱えた人間の肉体をアップグレードしてオーグメントに変え、彼らがアップグレードされた人ならぬ力を個人のエゴのために使う様子を観測することで、「人間の幸福」とは何かという命題を演算し続けていた。
緑川博士とルリ子は、そんなSHOCKERの構成員としてプラーナの研究を行っていたが、救急のさなかにSHOCKERの理念に疑問を抱き、組織に反旗を翻す計画を立てたのである。

組織の男からの最初の依頼は、疫病によって人類を死に至らしめる研究を完成させることこそ自らの幸福と既定し、自らの欲望のままに新種のバットヴィルースの研究を続けるSHOCKERの生化学主幹研究者・コウモリオーグの排除だった。
ルリ子は人を簡単に殴り殺せる力を持ったことに苦悩する本郷が、再び仮面をつけて変身し戦うことに恐れと迷いを抱いていることを見透かしており、単身コウモリオーグの元へ向かう。
しかしルリ子は人を意のままに操るバットヴィルースの影響で意識を失ってしまう。
情報機関の男は事態を見かねて介入しようとするが、政府の男はそれを静止すると、仮面ライダー=本郷猛に期待しよう、と静観の構えを崩さない。

本郷猛はかつて、父を目の前で失っていた。警察官だった本郷の父は、人質を取った通り魔に対して発砲せずに説得を試みた結果、その通り魔によってその命を落とした。
警察官として行使できたはずの力を行使せずに優しさを持って説得を試み、最期まで通り魔と人質の安否を気にしたまま逝った父を目の当たりにした絶望。
それを噛み締めた本郷は、人を助けるための力を迷わずに行使出来るようになりたいという力への意志と、父のように優しくありたいと願う心を持つに至り、他者のために戦える力を求めた。
それを密かに見込んでいた緑川博士によって、本郷はSHOCKERに反旗を翻すための協力者として選ばれてしまい、その体をアップグレードされたのである。
葛藤の果てに、今の自分には人を助けるための力があることを受け入れ、その力を他者のために行使することを決意した本郷は、緑川博士の「ルリ子を頼む」という願いに殉じ、ルリ子の後を追ってコウモリオーグの元へ向かうのであった。

コウモリオーグはルリ子を人質にして仮面ライダーの武装解除を迫った。
仮面ライダーは変身を解いてマスクを脱ぐ。マスクを脱いでしまえばただの人間に過ぎず、仮面ライダーもまたヴィルースに感染すると勝利を確信するコウモリオーグ。
だが、生命力を直接支えるエネルギーであるプラーナによって活動する本郷猛とルリ子にはヴィルースは通用しなかった。ルリ子はヴィルースに感染したフリをしていたのだ。
ルリ子に翼を撃ち抜かれながらも逃亡を図るコウモリオーグを、仮面ライダーは追跡。
仮面ライダーはサイクロン号との連携でコウモリオーグよりも高く飛び上がり、上空からのライダーキックを命中させコウモリオーグを粉砕する。
コウモリオーグは誰も自らの研究を認めない絶望を語りながら絶命し、泡となって消えた。

戦いを終えた本郷猛は、ルリ子に「人を守りたいと思う、自分の心を信じる」と、他者の命を奪う苦しさを背負って、他者のために力を振るう決意を語る。
ルリ子はその決意を受け止め、共に戦う同志として彼を認めるのだった。
一方、ルリ子の兄であるSHOCKER構成員・緑川イチローは、いずれルリ子が本郷猛=バッタオーグを連れて自らの排除に訪れることを想定し、本郷と同型のオーグメントを用意していた。
その名は、一文字隼人。

SHOCKERは原典の「仮面ライダー」におけるショッカーとは異なり、改造人間による人間の支配、その改造人間を支配する首領による世界征服ではなく、人類全体の幸福を行動理念とする、「愛の秘密結社」である。
しかしその人類全体の幸福の実現という目的を、最大多数の最大幸福、ではなく、少数の絶望を抱えた人間を救済することで、幸福の下限を引き上げることでの人類全体の幸福を実現する、という行動モデルによって果たそうとしている。
一見これは正しい理屈にも思える。弱者に寄り添うことはもちろん大切なことだ。
しかし、弱者の持つ弱さをエゴイズムに変えてしまい、そのエゴで他者を踏みにじってしまうことは、到底許されることではない。深い絶望を抱いているという「理由」さえあれば、他者の幸福を踏みにじって良いのかという問いは、もちろん否だろう。
だが一方で、我々が生きる現実世界では今日も世界の何処かで「弱者」が「強者」「社会」に虐げられている自分たちを哀しみ、そのエゴのままに放たれる言葉で他者を傷つけ、自分たちの権利を確立しようとすることが日常的に起こっている。
「SDGs」や「ポリティカル・コレクトネス」といった概念が、元々の理念はよりよい社会を実現するために必要とされたものでありながら、その実自分の意にそぐわない他者を、社会的に正しい理念に反する邪悪と認定して傷つける、自らの発言を正当化するための錦の御旗として振るわれ続けているのが現実世界の現状だ。
そうした現代の時代性を受けた上で設定されたSHOCKERは、構成員とする弱者の幸福のために他者の幸福を踏みにじることを許容している。これはまさに、弱者のエゴが他者を踏み躙り、傷つける現代社会を反映した設定であると言える。
歴代の東映特撮ヒーロー作品が時代に応じて各々の時代性に沿ったヒーロー・悪役を設定してきたことを思えば、まさにこの「シン・仮面ライダー」におけるSHOCKERは、東映特撮ヒーローの伝統に沿った、2023年現在の時代性を反映した悪役、であると言えよう。

そんなSHOCKERに仇なす本郷猛は、自分のことよりも他者に尽くす優しさを持ち、同時にそのためなら己の苦しさを乗り越えようと出来る強い心を持った人間である、と描写されている。
自分ではなく、他者に尽くすことに自分の力を使おうとする本郷猛の姿を通して、自分のエゴにしか力を使わないSHOCKERのオーグたちの醜さもまた強調されている。

「怪異!ハチオーグ」

政府の男と情報機関の男は、本郷たちの力を借りずに特殊部隊を密かに派遣し、猛毒性化学兵器を使用するサソリオーグの排除に成功した。
サソリオーグの猛毒には、プラーナによって命を支えているルリ子や本郷も耐えられない。
サソリオーグの排除に感謝を述べるルリ子に、政府の男は次なる排除目標としてハチオーグの排除を依頼する。効率的な奴隷制度による統制された世界システムの再構築とその実現を目指すハチオーグは、昔のコードネームをヒロミといい、ルリ子にとって友達に一番近い存在だった。
ハチオーグはテストモデルに選んだ街の住人を洗脳し、SHOCKERの構成員としていた。
ハチオーグが支配する街に乗り込んだルリ子と本郷は、ハチオーグの側近である背広の男の案内でハチオーグのアジトに向かい、ハチオーグと対面して投降を促す。
だがハチオーグは逆に、ショッカーに生まれたものはショッカーに帰るようにルリ子たちを促すのだった。断るルリ子と本郷を、ハチオーグに操られた人々が襲った。
洗脳されているだけの人々を殺めたくない本郷は戦わずに退却する。

ルリ子と野営していた本郷は、そこでルリ子が組織の人口子宮から生まれた生体演算機であり、打ち込んだデータを目から脳に直接インストールすることが出来ることを知る。
ルリ子は兄・イチローとの再会に備え、彼の計画を阻止するためのプログラムを構築していた。
本郷はまた、自分が腹が減らない体であることにも気づく。ルリ子は、それは緑川博士が開発したプラーナシステムの恩恵であり、大気中に圧縮された他生命のプラーナを自らの生体エネルギーとして変換している、すなわち他の生命を吸い続けているがゆえであることを教える。
全人類がプラーナシステムを装備しても、最終的に限りあるプラーナを奪い合うことにしかならないと気づいたことで、緑川博士はプラーナシステムの開発を止め、組織に反旗を翻したのだ。

そこにハチオーグに操られた人々が姿を現す。
ハチオーグの洗脳から人々を救うには、アジトにあるサーバーを破壊するしかない。
本郷はアジトに直接乗り込んでも前回の二の舞いになるだけだとし、プランがあるのでルリ子に1人でアジトに乗り込むように頼む。自分ではなく、自分のプランを信じてほしいと語る本郷に、ルリ子はプランではなく本郷自身を信じると答えるのだった。

アジトの屋上でハチオーグと対面するルリ子。
屋上では仮面ライダーもサイクロン号に乗って駆けつけることは出来ない、と笑うハチオーグだったが、そこに一筋の閃光が落下してきた。
情報機関の男に輸送機を用意させた本郷が、上空で輸送機から飛び降り、落下する際の風力で仮面ライダーに変身。その勢いでアジトのサーバーを穿ち、直接破壊したのだ。
ルリ子を悲しませないためにハチオーグに再度投降を促す本郷だったが、ハチオーグはルリ子を泣かせることが自分の望み、と告げ、あくまで対決を挑む。
互角のスピードを持った両者の死闘は、仮面ライダーの勝利に終わる。
だが、仮面ライダーは友人を想うルリ子のため、ハチオーグにとどめを刺そうとしなかった。
しかしそこに現れた情報機関の男が、サソリオーグの猛毒を応用した弾丸を用いてハチオーグを排除する。情報機関の男たちはこのためにサソリオーグを自分たちの手で排除していたのだ。
ハチオーグは最期に「ルリ子に殺してほしかった」と、その歪んだ愛情を見せながら、泡となって消えた。「友達」の死を悲しむルリ子に、本郷はただ寄り添うのだった。

ハチオーグの昔のコードネーム、ヒロミは、原典の「仮面ライダー」における緑川ルリ子の友人、野原ひろみから引用された名前だ。
蜂女をモデルにしたキャラクターであるハチオーグにその名を与えることで、原典へのリスペクトと、原典の要素を再構成することを同時に達成している。
原典では何の関係もない野原ひろみと蜂女を関連付ける手法があまりにも巧みだ。

自分自身でなくプランを信じるように頼む本郷に、ルリ子がプランではなく本郷を信じると答えるシーンは、冒頭で描かれた、ルリ子が本郷のことは信じないが、本郷の体の性能は信じると言うシーンとの対比として描かれ、本郷へのルリ子の意識の変化を表現した描写だ。
戦いへの迷いや恐れを完全には割り切れなくても乗り越えようとしている本郷への信頼関係の芽生えを、ただの一言で現したこの台詞回しも非常に秀逸なものである。

SHOCKER構成員は絶命すると泡となって消える。これも原典の「仮面ライダー」初期で見られた描写を踏襲したものだ。この「シン・仮面ライダー」では、そこに死しても遺体も残らないという哀しさを演出意図として付与することで、ハチオーグの最期や、後述していくキャラクターの最期の哀しさをより鮮明なものにしている。

「怪人K.Kオーグ」

政府の男と情報機関の男が用意したセーフハウスで、ルリ子はイチローとの再会に備えたプログラムの構築と、とあるメッセージの録音を進めていた。
本郷との間の信頼関係も確固たるものになったことに居心地の良さを覚えつつあったルリ子だが、ある夜、イチローがサナギから羽化してチョウオーグとして完成したことを察知して危機感を募らせると、仮面ライダーのマスクにあるプログラムを移植するのだった。

その頃、政府の実働班がチョウオーグのアジトを強襲するが、たやすく殲滅されてしまう。
遺体に何の損壊も見られず、むしろ穏やかな笑みを浮かべたまま絶命した様子に疑問を抱く情報機関の男に、ルリ子はそれこそがチョウオーグの持つ能力によるプラーナの強奪の現れ、言い換えれば魂を別の場所に連れて行かれた現れだと語る。
強奪されたプラーナが行き着くハビタット世界と呼ばれる世界には嘘がなく、他者を完全に理解できるとされるが、一方でその世界では人間は自我を保つことが出来ない、いわば地獄である。
イチロー=チョウオーグは自分を含む全ての人類をハビタット世界に送り込むことで人間同士が完全に理解し合える世界という理想郷を作り出そうとしていたが、同時にそれはハビタット世界に人類全てを送り込むことで人類から自我を失わせる、人類滅亡計画でもあったのだ。
緑川イチローはかつて無差別殺人事件で母親を理不尽に失った。
理不尽に満ちたこの世界から、人々の魂を嘘のない世界に送り込むことで、母親の死のような人の世の理不尽が生む哀しみを消し去ろうとしていたのである。

全ての人類をハビタット世界に送る計画を阻止するため、ルリ子と本郷はイチローのアジトに向かった。ルリ子が計画阻止のためのプログラムを完成するには、イチローと直接対面してイチローが持つデータを読み込む必要があり、一方でイチローのハビタットシステムも、ルリ子が持つデータを読み込むことで完璧なものになる。SHOCKERが組織に反旗を翻したルリ子を生きたまま連れ戻そうとしていたのも、ハビタットシステムを完成させるためのイチローの指示だった。
アジトで対峙したルリ子とイチローは互いのデータを共有し、お互いに必要なプログラムを完成させようとするが、イチローの圧倒的な力の前にルリ子は意識を失ってしまう。
本郷はイチローを説得しようと声をかけるが、イチローはそんな本郷を一蹴、父である緑川博士の最高傑作すらこの程度の性能でしかないことに失望し、存在をなかったことにしようと、予め用意していた一文字隼人、すなわち第2バッタオーグを呼び出す。

第2バッタオーグはイチローによってカスタムされており、風を受けずとも変身することが出来る強化型だった。ルリ子を連れ逃亡した仮面ライダーが、十分に風を受けプラーナを蓄えたことを確認した第2バッタオーグは、仮面ライダーと互角の条件の元で戦うことを望んでいた。
本郷とルリ子は、そんな第2バッタオーグの様子に、組織の洗脳に抗う強い意志を感じ取る。
洗脳に抗う心を持つ一文字隼人と戦いたくない本郷だったが、戦わなければルリ子はどうなる、という一文字隼人の言葉に戦いを決意。互角の力を持つバッタオーグ同士の戦いが始まった。

仮面ライダーは第2バッタオーグに左足をへし折られ、身動きが取れなくなってしまう。
一方、一文字隼人の心を感じ取ったルリ子は、イチローから得たデータで一文字隼人の洗脳を解こうとしていた。洗脳を解くプログラムを完成させたルリ子は、一文字隼人の洗脳を解く。
アップグレードによって忘却した過去の哀しみの記憶を取り戻し涙を流す一文字隼人に、ルリ子は赤いマフラーを首に巻き、「あなたもライダーになって、彼を助けて」と願いを託す。
だがそこに、突然背後から新たなオーグメントがルリ子を襲撃。
それはSHOCKERの「死神グループ」が作り出した、初の三種合成型オーグメント、カマキリ・カメレオンオーグ、通称K.Kオーグだった。
カメレオンの能力で姿を消し、カマキリの鎌でルリ子を襲ったK.K.オーグがルリ子にとどめを刺さんとした時、何者かがその体を吹き飛ばす。
「SHOCKERの敵、人類の味方」となった、もうひとりの「仮面ライダー」、一文字隼人が、洗脳から逃れ自我を取り戻し、その剛腕を振るったのだ。

K.Kオーグは一文字ライダーに倒されるが、ルリ子の命は尽きようとしていた。
本郷はマフラーを解き、傷を塞ごうとするが、出血は止まらず、ルリ子は力尽きる。
本郷に「マフラー、似合っててよかった」と最期の言葉を残すと、その身体も泡となり消えた。
その様子を、一文字隼人は赤いマフラーを握り締めながら見ていた。

仮面ライダーの左足がへし折られ、一文字隼人が変身する新たな仮面ライダーが登場する。
この展開は、特撮番組史上最も有名なアクシデントである、原典の「仮面ライダー」撮影中に起きた本郷猛を演じた藤岡弘氏のバイク事故を模した展開であろう。
このようなメタ的な展開を、ごく自然に劇中に取り入れている巧みな手法が見事だ。

物語冒頭でルリ子が本郷に「ヒーローと言えば赤」として巻いた赤いマフラーは、バイクを愛していた緑川博士が若い頃に身に着けていたものを模して本郷に巻いたものだ。
ルリ子は父のことを直接は嫌っているように話していたが、緑川博士とイチロー、イチローの母が仲睦まじく暮らしていた家族の情景に憧れがあり、一家の大黒柱として家族の「ヒーロー」だった父への敬意と思慕を込めて、ヒーローの象徴に赤いマフラーを選んだのだと思われる。
そして赤いマフラーは、本郷猛=バッタオーグが「仮面ライダー」を名乗る象徴となった。
一文字隼人もまた、ルリ子に赤いマフラーを託され、「第2バッタオーグ」から、SHOCKERの敵、人類の味方」「仮面ライダー」となっている。
原典である「仮面ライダー」に登場した本郷ライダー・一文字ライダーの象徴である赤いマフラーを、バッタオーグが「仮面ライダー」「シン・仮面ライダー」の描写は、原典である「仮面ライダー」へのリスペクトが込められたからこその描写であると言えよう。

原典の「仮面ライダー」初期に登場した本郷ライダー、所謂「旧1号」は、闇に溶け込むダークトーンのカラーリングに身を包みながら、首に巻いた赤いマフラーが鮮烈な印象を残し、同じように闇に溶け込むショッカー怪人に仇なす正義の存在であることを強烈にアピールしていた。
闇に溶け込む暗いボディが、彼もまた他のショッカー怪人と同じく闇に蠢く存在になりかけていた証であり、ライダーと怪人は表裏一体であることをビジュアルで示しながらも、そこに闇を祓う鮮烈な真紅のマフラーを備えることで彼が正義の戦士であることが強調されたのである。
この「シン・仮面ライダー」で赤いマフラーが「仮面ライダー」の象徴として描かれたことに、制作陣の原典である「仮面ライダー」への深い愛情を感じずにいられない。
そしてこの赤いマフラーは、ルリ子の願いを託された証として、本郷猛と一文字隼人という二人の仮面ライダーを、最後の戦いへ向かわせるのである。

「兇悪!大量発生型相変異バッタオーグ」

一文字隼人は、自分のせいでルリ子が命を落としたことを本郷に謝る。
本郷は自らの非力が招いた結果であるとそれを赦し、共に戦うことを望む。
だが、孤独を愛する一文字隼人は、本郷の後ろにいる政府の男や情報機関の男と群れることを拒むと、1人でSHOCKERと戦うと言い残し、本郷の前から去っていった。
マスクに遺された、ルリ子の遺言を聴く本郷は、ルリ子の父や兄への思いと、イチローが母を殺されたことで世界の理不尽を恨みハビタットシステムの構築を計画したことを知る。
そしてルリ子の、兄を止めてほしいという願いを受け、嗚咽しながらもその願いに応えるべく、再びイチローの元へ向かうことを決意する。
ルリ子が遺したプログラムが込められた仮面ライダーのマスクをイチローに被せることができれば、ハビタットシステムを阻止できるのだ。
本郷は政府の男と情報機関の男に、与えられた力を行使しなかったがために命を落としながら、最期まで他者の心に尽くし続けた父への思いを吐露し、ルリ子の復讐ではなく、ルリ子の願いを叶えるために自分の力を行使する決意を語る。
そして本郷は、政府の男と情報機関の男に一つの頼み事をするのだった。

サイクロン号でイチローのアジトへ向かう仮面ライダーの前に、同じようにサイクロン号に乗った11体のオーグメントが立ちはだかった。
群れを成し、より凶暴な群生相のバッタの特質を持つ、大量発生型相変異バッタオーグである。
自身と同等のスペックを持つ大量発生型相変異バッタオーグの群れの猛攻は強烈だった。
仮面ライダーは反撃で確実にその数を減らしながらも、ついに追い込まれてしまい、周囲を取り囲まれたまま一方的に銃撃を受けてしまう。
そこに、サイクロン号に乗った一文字ライダーが駆けつけ、本郷ライダーの危機を救った。
一文字は「群れるのは嫌いだが、好きになることにする」と宣言し、自らを「仮面ライダー第2号」と名乗る。本郷もまた、「二人でダブルライダーか」と応え、「ふたり」の仮面ライダーは結束を固め、大量発生型相変異バッタオーグに挑むのだった。
群れをなす大量発生型相変異バッタオーグを次々に蹴散らすダブルライダーは、最後に残った2体をライダーダブルキックで撃破し、イチローのアジトへ向かう。

ダブルライダーをアジトで待ち構えていたイチローは、チョウオーグとしての姿を現す。
そしてチョウオーグは自分の首に白いマフラーを巻くと、自分なりのやり方、すなわち嘘のない世界に人類全てを送り込むことで全ての人類の相互理解を達成するというやり方で世界を救う、「仮面ライダー第0号」になると宣言。ダブルライダーと仮面ライダー第0号の死闘が始まった。
玉座より無尽蔵のプラーナを供給され、プラーナの絶対量の違いでダブルライダーを圧倒する仮面ライダー第0号に、ダブルライダーはサイクロン号を爆破、玉座を破壊することでプラーナの供給を断つという手段で対抗するものの、それでもなお、力の差は歴然としていた。

本郷は自分のマスクをイチローに被せることができればハビタットシステムを阻止できることと、そのためには何が何でも仮面ライダー第0号のマスクを破壊する必要があることを一文字に伝え、立ち上がる。勝算を理解した一文字もまた、満身創痍の身で立ち上がる。
ダブルライダーは何が何でも仮面ライダー第0号のマスクを破壊して、赤いマフラーを通して託されたルリ子の願いを叶えるために、最後の戦いを挑むのだった。

執念で足掻き続けるダブルライダーの前に、玉座からのプラーナの供給を絶たれたことで徐々にプラーナが減少していき弱る仮面ライダー第0号。
ダブルライダーの奮闘を無駄な足掻きであると断じる仮面ライダー第0号に、本郷は「人生に無駄なことなんて無い」と反論し、自分がイチローと同じように親を失った絶望に落とされたこと伝え、その絶望から救われるには世界全体を変える必要なんて無く、他者を理解しようと自分自身を変えようとすればいい、と訴える。
だが、イチローはそれを拒絶すると渾身の一撃を本郷のベルトに叩き込み、本郷のベルトを破壊してしまった。しかし、その隙をついて仮面ライダー第2号の頭突きがイチローに決まり、第2号のマスクと引き換えに、仮面ライダー第0号のマスクが破壊された。
本郷はその機を逃さず、自分のマスクをイチローに被せる。

本郷=仮面ライダーのマスクには、ルリ子の魂=プラーナが定着していた。
ルリ子の魂と再会したイチローは、ルリ子が本郷猛との旅の中で世界を知り、人間を知って、人間に希望を見たことを悟ると、自らの計画を断念する。プラーナを使い果たし肉体の消滅を待つだけのイチローの魂も、自分と一緒にマスクに残れる、と言うルリ子に、イチローは「3人」にはこのマスクは狭すぎる、とルリ子の手を退け、死を受け入れるのだった。

本郷は、ルリ子から託された「願い」を叶えることに成功した。
しかし、その代償として、本郷の肉体もプラーナを使い果たし消滅を待つだけになっていた。
自らの命を捨ててまで、他者のため、他者から託された願いのために戦った本郷猛という男を、「自分を捨てて他者の心に尽くす」と評したイチローは、「ルリ子が信じた人間を信じることにする」と決め、泡となって消えていった。
そして本郷猛も、一文字隼人に「後を頼む」と言い残し、泡となって消える。
そこには、光を失った仮面ライダーのマスクが残されていた。

「シン・仮面ライダー」における本郷猛は、「コミュ障」であると言われ、世界の理不尽によって父を奪われた絶望と、優しすぎるがゆえに他者との付き合いに臆病になっていた男だった。
そんな彼が、父を失い苦難に満ちていたであろうそれまでの人生を「人生に無駄なことなんてない」と肯定し、「他人の心を完全に理解することは出来ないが、少しでも理解できるように自分を変えたい」と願うに至ったのは、「仮面ライダー」として戦う中で、緑川ルリ子や一文字隼人との間に生まれた信頼に充足を覚えたからに他ならない。
本郷猛は、人ならぬ身となっても生来の優しさを失わず、人間同士の信頼に希望を見出し、人間同士が互いが理解しようと勤め、信頼で結ばれることが出来れば、世界全体を変えなくてもよりよい未来を見出す事が出来るはず、と悟った。
本郷猛は「仮面ライダー」に「変身」して、肉体だけでなく心も「変身」を遂げたのだ。
「仮面ライダー」のキーワードである「変身」に、ただ強い力を得るために姿を変える、という意味だけでなく、戦いの中で人生に希望を見出す心の変化を果たしていく再生のドラマの意味も込めた構図は、あまりにも見事である。

そして、本郷猛は、緑川イチローと同じく、世界の理不尽で親を奪われた経験を持つ。
だからこそ、同じ痛みを背負った相手としてイチローに接し、その心をも救うため足掻いた。
絶望を経験してもなお、他者への優しさを失わなかったから、イチローの心に本郷猛の言葉が届いたのだ。その姿には、原典の「仮面ライダー」で本郷猛の人間愛が確かに継承されている。
緑川ルリ子から託された願いを果たし、緑川イチローの孤独を救うために自らの命を捨てて、忌避していた戦いに臨んだ、「自分を捨てても他人の心に尽くす」本郷猛の姿は、原典の「仮面ライダー」第13話「トカゲロンと怪人大軍団」で、緑川ルリ子が去りゆく仮面ライダーに送った賛辞の言葉を思い出させる。「偉いわ。自分の命を捨ててまで人のために戦っているのね」。

「かえってくるライダー」

戦い終えて、朝が来た。
一文字隼人はひとり、「仮面ライダー」である証の赤いマフラーを解こうとしていたが、そこに政府の男と情報機関の男が、「仮面ライダー」のマスクを持って現れる。政府の男は新たなSHOCKERの構成員としてコブラオーグが暗躍を見せていることや、本郷猛と緑川ルリ子のプラーナ、魂は「仮面ライダー」のマスクに定着して生き続けていることを告げ、本郷猛が緑川イチローのアジトに向かう前に、例え自分の肉体が滅んだとしても、一文字隼人に「仮面ライダー」を名乗りSHOCKERと戦い続けてほしいという願いを伝えて欲しいと頼んでいたことを明かす。

一文字隼人は残されたマスクから本郷の意志を感じると、政府の男たちとうまくやっていく努力はする、ことを表明。マスクを修理し、新たなスーツとサイクロン号の準備を要請すると、互いを信用する証として名を名乗るように告げる。
それに応えた政府の男は「立花」と、情報機関の男は「滝」と名乗るのだった。

新たに修理されたマスクは鮮やかなメタリックグリーンに。スーツには二本のラインが走る。
新たなマスクとスーツを身に着け変身した一文字隼人は、「仮面ライダー第2+1号」となった。
新たなマスクを被る一文字の心には、かつて、第2バッタオーグだった時に感じていた、冷たいギラギラした感情はなく、優しさが感じられていた。
一文字は、その優しさこそが、本郷猛という男の心であることを悟る。
仲間によって新たに用意されたシンサイクロン号を駆る仮面ライダー第2+1号は、マスクに固定された本郷猛の魂を感じ、彼の声と願いに応えると、シンサイクロン号のスピードを上げ、SHOCKERとの新たな戦いへ向かう。
彼らはもうひとりではない。いつもふたりだ。ふたりでSHOCKERと戦おう。

仮面ライダー第2+1号の姿のモチーフとなったのは、原典の「仮面ライダー」第53話から登場した、日本へ帰還した本郷猛が新たに変身した姿、所謂「仮面ライダー新1号」である。
その体に走る二本のラインは、仮面ライダー2号の体に走る一本のラインとの差別化に過ぎない要素ではあった。この「シン・仮面ライダー」では、その二本のラインに、仮面ライダー第2+1号がもうひとりではない証として、二本のラインが走っているという解釈を載せている。ヒーローデザインに意味をもたせる手法は、かつての「人造人間キカイダー」で左右非対称のヒーローデザインに、不完全な良心を持つ存在という意味を載せたことを思わせる。

また、仮面ライダー第2+1号が駆る新たなサイクロン号、シンサイクロン号は「立花」と「滝」によって用意されるのは、仮面ライダー新1号が新たに駆るマシンだった新サイクロン号が、本郷猛と彼の協力者、立花藤兵衛と滝和也が協力して作り上げたという経緯を踏襲している。

本郷猛の魂と一体になって会話し、二人で戦い続ける決意を語る一文字隼人と言う構図は、石ノ森章太郎が描いた萬画版「仮面ライダー」の「13人の仮面ライダー」からの引用である。
萬画版「仮面ライダー」では、ショッカーが作った11人の仮面ライダーによって命を落とした本郷猛が、脳を摘出され、研究所のガラスの器の中で脳だけが生き続けたまま、感覚を一文字隼人と共有し、ともにショッカーと立ち向かうようになるというシーンが描かれた。
TV版の「仮面ライダー」だけでなく、石ノ森章太郎が描いた萬画版「仮面ライダー」のエッセンスをも継承し、再現したこのシーンに着地したことが、制作陣の「仮面ライダー」へのリスペクトと愛情を示すものに他ならない。

庵野秀明氏が脚本を担当し、同じ「シン・ジャパン・ヒーローズ・ユニバース」である映画作品「シン・ウルトラマン」では、その主題歌である「M八十七」でウルトラマンのことを「痛みを知るただひとりであれ」と歌われたように、ウルトラマンは高潔なる精神と人類愛のもとで、独りその命を散らし、地球人に未来を託した。ウルトラマンの大いなる人類愛は、一方で人類も、同じ光の星の同胞であるゾーフィすらも理解しきれないものだった。
彼は「ひとり」で、その大いなる愛に準じてその命を散らせたのだ。

しかし「シン・仮面ライダー」の仮面ライダーは「ふたり」で戦う道を選び、たとえひとりが道半ばで滅んでも、もうひとりがその意思を未来へ繋ぎ、共に戦い続ける道を選んだ。
ウルトラマンはその大いなる力と愛で、戦いの痛みを独りで背負えるが、仮面ライダーはあくまでも人だからこそ、独りでは戦いの痛みを背負いきれない。だが同時に、そんな弱さを抱えた存在だからこそ、誰かと共に生きることを選べる。
ウルトラマンは光の国のウルトラ兄弟がいる。一方で仮面ライダーは孤独なヒーロー、というパブリック・イメージとは真逆にも感じる構図だが、改めてそれぞれの原典を振り返った時、「ウルトラマン」におけるウルトラマンはハヤタの姿を借りてしか人間と関われない「ひとり」の孤独を抱えており、「仮面ライダー」は、ダブルライダーというように距離は離れていても心は繋がったまま「ふたり」で戦っていた。

「シン・ウルトラマン」と「シン・仮面ライダー」は、原典となる「ウルトラマン」「仮面ライダー」における構図を見つめ直した上での再構築の結果、独りで戦いの痛みを背負ってしまい地球を、現世を去るウルトラマンと、ふたりだからこそ意思や託された願いを未来へ繋ぐことが出来た仮面ライダーという構図となったのではないか、と思う。
どこまでも高潔、人を超克して戦いの痛みを孤高なまでに独りで背負えるウルトラマン。
どこまでも人にすぎないからこそ、誰かとともに生きることを選ぶことができる仮面ライダー。
日本を代表する2大ヒーロー・ブランドでありながら、決定的に異なるこれら2つのヒーローに、愚直なまでに向き合ったからこそ、それぞれに相応しい結末を見事に描ききったことに、制作陣の「ウルトラマン」と「仮面ライダー」という2つの作品へのリスペクトと限りない愛情を感じずにいられない。

「シン・仮面ライダー」における、「自分を捨てて他人の心に尽くす」本郷猛と一文字隼人の姿は、原典の「仮面ライダー」で描かれたものをしっかりと継承し、再構築されたものだ。
演者がもちろん異なれば、キャラクター設定も違う、原典と全く異なるキャラクターでありながら、しかしキャラクターの骨子となる精神性が原典から確かに継承されていることを感じずにいられないのは、あくまで他者のために力を振るい、自分の身を捨て他者を守り続ける意志が受け継がれているからに他ならないだろう。かつての「仮面ライダー」で描かれた、本郷猛と一文字隼人の精神は、「シン・仮面ライダー」において確かにスクリーンに「かえってきた」。
「シン・仮面ライダー」に込められた制作陣の確かなリスペクトと愛情が、50年間続くシリーズの原典たる「仮面ライダー」の精神性を改めて現代に伝え、その魅力を改めて訴えている。

「シン・仮面ライダー」は、2023年7月現在Amazon Prime Videoにて独占見放題配信中だ。
生来の優しさを失わないまま、力を得た懊悩の果てに、人とのつながりに希望を見出した本郷猛の旅路を、ぜひもう一度ご覧いただきたい。
「仮面ライダー」への確かなリスペクトと愛情が、あなたの心にきっと何かを残すだろう。



私的な思いになるが、「シン・仮面ライダー」で緑川イチローが本郷猛を評した、「自分を捨てて他人の心に尽くす」という言葉が、自分の中での「仮面ライダー」観をこれ以上なく的確に言語化してくれたという思いがある。「仮面ライダー」をさらに好きにしてくれた「シン・仮面ライダー」制作陣には、限りない感謝を伝えたい。

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