「イナズマン」「イナズマンF」感想メモ ~二段変身するヒーロー、二段変身した作品~

2023年7月12日水曜日

イナズマン イナズマンF 感想

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「蛹から蝶へ~新ヒーロー、羽化の時」

1973年。
UFOや超能力といったオカルトものが子供たちの話題をさらっていた、そんな年。
1971年にスタートしていた横山光輝氏原作の超能力者同士の死闘を描いた漫画作品「バビル二世」がこの年にアニメ化され、子供たちの人気をさらっていた。
そんな時代背景と、「超能力」というワンダーなトピックは子どもたちの興味を引くのみならず、巨匠・石ノ森章太郎と東映のスタッフ陣のイマジネーションを刺激し、新たなる特撮ヒーロー作品を産んだ。それが「イナズマン」である。

アニメ企画「ミュータントZ」を源流に、特撮ヒーロー作品として成立した「イナズマン」。
超能力者の「超」という言葉に「蝶」をかけ、「蝶」をモチーフに考案されたイナズマンは、先行して放送されていた「仮面ライダー」シリーズや「人造人間キカイダー」シリーズ、「ロボット刑事」といった、石ノ森章太郎と東映がタッグを組み生み出した綺羅星のようなヒーローたちと決定的な差別化を図るべく、「蝶」というモチーフにふさわしい特徴を与えられた。
それが蛹から蝶への羽化をイメージした、蛹の姿に一度変身し、そして怪人との決戦の際には満を持して羽化、すなわちもう一段階別の姿に変身する、「二段変身」である。
イナズマンに変身する青年、渡五郎は「剛力招来」の掛け声で「蛹」のヒーロー、「サナギマン」に変転。さらに敵の攻撃をその身に受け、そのエネルギーを吸収することでベルトの変転ゲージが蓄積され、ゲージが頂点に達した時、「超力招来」の掛け声とともにサナギマンの外皮が爆散、内部から「蝶」のヒーロー、「イナズマン」が出現する。

「剛力」という掛け声が示す通り、サナギマンは単純な力と、硬い外皮を備えたヒーロー。
そして「超力」のイナズマンは、千変万化の超能力を駆使して戦うヒーローだ。
「蝶」であるイナズマンの華やかさを引き立たせるかのように、「蛹」であるサナギマンのデザインはまるで岩石のような、異形の姿としてデザインされている。
ヒーローという存在に、異形の姿を持つ哀しみという要素を取り込んできた石ノ森章太郎氏ならではのデザインとなったサナギマンは、ヒーローらしい姿であるイナズマンの中間形態だからこそ、ヒーローデザインの定石を外し「異形」を追求した、石ノ森イズムを体現したヒーローだ。

こうして二段階の姿に変身する新ヒーロー、イナズマンが生まれた。
二段変身という新鮮味あふれる設定、そして超能力を、特撮技術をふんだんに用いて描く。
変身ブーム、そしてオカルトブームに熱狂する子供たちの興味を引くことは確実だ。

こうして1973年晩夏、10月の放送を目指して「イナズマン」の制作が開始される。
それは「仮面ライダー」シリーズの制作で知られる東映生田スタジオが制作する作品としては初めてNET(日本教育テレビ、現テレビ朝日)をキー局として放送される作品だった。
その意気込みを示すように、「イナズマン」では大々的な特撮班が組まれ、先行して東映生田スタジオで制作されていた「仮面ライダー」シリーズの特殊効果を超える、東映生田スタジオ作品として初の大々的な特撮が取り入れられた。イナズマンや、それと戦う新人類帝国のミュータンロボットの超能力を、多大な予算を投じての本格特撮で描く試みがなされたのである。
全てはオカルトブームに湧き、超能力に憧れる子供たちの心を掴むために。
制作陣の並々ならぬ意気込みは、イナズマンが空飛ぶ車・ライジンゴーに乗って現れ、崩れるビルを超能力で修復し、倒れるビルをマフラーが変化した鎖で食い止める、ダイナミックな特撮シーンが続出するオープニング映像からも感じることが出来る。

設定面では、「仮面ライダー」「仮面ライダーV3」で成功を見ていた「少年仮面ライダー隊」の設定を踏襲し、主人公に協力する超能力者の少年たちがレギュラーとして登場するという設定が盛り込まれた。石ノ森章太郎が描いていた漫画作品「少年同盟」を引用し、そのまま少年同盟と名付けられた彼らは、キャプテン・サラーと呼ばれる超能力者が悪の超能力者を倒すために組織した正義の超能力者グループであり、主人公である渡五郎は彼らを助けたことから自身に眠る超能力の素質を開花させ、イナズマンへと覚醒することになる。

一方で敵役となる新人類帝国の怪人、ミュータンロボットは、オカルトブームの怪奇的な要素を反映したような、身の毛がよだつような醜悪さを備えたデザインが続出した。
悪の超能力者が改造手術を受け誕生するミュータンロボットは、第6話「怪奇ユキバンバラ!新人類手術!!」においてその改造手術が克明に描かれ、複数の超能力者の優れた部位を寄せ集め作られるという恐怖描写で演出された改造手術シーンによって、怪奇的な要素が追求されている。

この新人類帝国の頂点に立つ帝王バンバは、来るべき食料危機や人口増加で破滅を迎えようとしている地球を憂い、選ばれた超能力者だけが生き残る世界を理想とする恐怖の選民思想を持った大超能力者であり、超能力を持たない旧人類を奴隷化、最終的に殲滅することで悪の超能力者が支配する世界を生み出そうとしている。
イナズマンは人類全ての自由のために、「自由の戦士」として新人類帝国と戦うのである。
こうして「イナズマン」の設定は完成し、正義の超能力者と悪の超能力者の、地球の未来と人類の自由をかけた壮絶な死闘が幕を開けようとしていた。

「剛力招来!『イナズマン』の変転」

かくして放送をスタートさせた「イナズマン」。
新人類帝国の怪奇性、イナズマンが見せる華麗な二段変身、本格特撮で描かれる超能力。
番組の持ち味として志向された要素が画面に踊り、渡五郎の戦いが始まった。
ひときわど派手な特撮でミュータンロボットの超能力を描き印象深いのが第8話「恐怖砂あらし!大空港沈没!!」である。ミュータンロボット・スナバンバラの持つ自在に砂となり、周囲一帯をも砂地獄に変え全てを飲み込んでしまう超能力は大々的な特撮で描かれ、スナバンバラに超能力者として狙われた少年の家が砂に沈む様子が大迫力で描かれた。
対するイナズマンも様々な超能力で次々現れるミュータンロボットに対抗する。
その中でも、敵の技をそのまま跳ね返してしまう「逆転チェスト」やマフラーを巨大な鎖に変える「マフラー稲妻走り」などは特に印象深い。

そして、毎回の特撮シーンを彩ったのが、イナズマンの愛車、ライジンゴーだ。
車のボンネットが鮫の口のように開く悪夢的意匠が絶大なインパクトであるこのマシンは、翼を開いて空を飛び、開いたボンネットの中からミサイルを撃ち出すスーパーマシンだ。
新人類帝国が繰り出す戦闘機やミサイルを次々と撃墜する活躍シーンは子供たちの心を的確に掴み、スポンサーのポピーから発売された合金玩具、ポピニカシリーズの玩具は大ヒットした。

余談にはなるが、このライジンゴーのデザインは、巨匠・石ノ森章太郎による原案を、「超合金」の生みの親として知られるプロダクト・デザイナー、村上克司氏がリライトしたものだ。
カーデザインを志向し、車のバランスを熟知していた村上克司氏による的確なリライトによって、石ノ森章太郎氏の描く獰猛な迫力を持った漫画的なデザインと、工業的なカーデザインの概念が融合し、一度見たら忘れられない奇想天外なフォルムでありながら、車としての説得力も兼ね備えた、唯一無二のヒーロー・マシンが完成したのである。
この二人の天才による才能のクロスオーバーは、後に「仮面ライダーBLACK」においても、村上克司氏による外骨格を纏うタフネスあふれるデザインに、石ノ森章太郎氏の指示で生物的な関節の意匠が盛り込まれ完成した、究極のヒーローデザインの創出という奇跡を起こしている。

「イナズマン」というシリーズのターニング・ポイントとなったのが、原作者である石ノ森章太郎氏が自らメガホンを取り、監督を担当した第11話「バラバンバラはイナズマンの母」だ。
イナズマンと互角に戦うほどの強さを持つミュータンロボット、バラバンバラ。
その正体はサブタイトルが示す通り、渡五郎の母親、渡シノブであった。
15年前に生き別れたはずの母は帝王バンバに改造、そして洗脳され、ミュータンロボットと化していたのである。バラバンバラと戦えない渡五郎を、少年同盟の仲間たちは新人類帝国に寝返ったものと疑い、渡五郎は孤立を深めていく。
それでも母を救うことを決意したイナズマンの必死の呼びかけにバラバンバラは人の心を取り戻すが、それを良しとしない帝王バンバの攻撃からイナズマンを庇って息絶える。
再会した母との死別、そして仲間である少年同盟からの孤立という、渡五郎の哀愁と孤独を描いたこのエピソードを期に、「イナズマン」のドラマは急激にシリアスなムードを高めていく。
続く第12話「母の仇バンバ対イナズマン」では母の仇を討つべく、少年同盟からも離れ単身行動していた渡五郎が新人類帝国の攻撃の前に追い詰められ、彼を身を隠した新人類帝国の収容所で強制労働をさせられていた労働者や、彼らの癒やしとなっていたシスターが皆新人類帝国の犠牲となるなど、ハードな描写が続出。
ここで描かれた新人類帝国の収容所に囚われた人々という描写は、後述する「イナズマンF」において絶大なインパクトで演出される、幻影都市デスパー・シティの設定の試金石とも言える。

こうした設定や描写がハードさを増していくに伴い、作中からフェードアウトしたのが「少年同盟」の設定である。新人類帝国の圧政に立ち向かう孤独な戦士の戦いという構図が確立されていく中で、イナズマンをバックアップする少年同盟の存在が作風にそぐわなくなり、レギュラーキャストに名を連ねていた大木サトコと大木カツミ以外の少年同盟員の出番は激減。当初の正義の超能力者集団と悪の超能力者集団の人類の未来をかけた戦いという構図は失われていった。
ここで「イナズマン」という作品は、当初の構成における一つの柱を失ったのである。

さらなる逆風が「イナズマン」を襲った。1974年初頭、第4次中東戦争の激化により原油価格が高騰、多くの工業製品が供給不足に陥った、「石油ショック」の到来である。
撮影におけるあらゆる資材・物資の高騰により、本格特撮をウリにしていた「イナズマン」の制作で、東映生田スタジオは大幅な赤字を出すことになる。
ものの本によれば1話につき当時にして50万円もの赤字を出し続けたと言われる「イナズマン」は、超能力描写などの特撮表現の削減を余儀なくされた。
これは特に「イナズマンF」において顕著で、イナズマンの戦闘スタイルは多彩な超能力から空手アクションを主体にしたものへと変化することになる。

最大の売りであった超能力描写の削減。
しかしここで「イナズマン」制作陣は、「イナズマン」という作品の新たなる売りとなる強化策を模索する中で、第11話を期に描かれ始めたシリアスなドラマ路線の強化という道を選ぶ。
そしてその変化をより自然な形で演出するために、制作陣が取った最大の奇策が、「イナズマン」第3クール以降を「イナズマンF(フラッシュ)」と改題、新番組として心機一転スタートさせるというものだった。あらゆる番組強化策が新番組「イナズマンF」のスタートと同時に行われ、「イナズマン」という作品の変化は新番組への変化に伴う自然なものであるように演出された。
ここで「イナズマン」というシリーズは、蛹が蝶になるように、サナギマンがイナズマンに変転するように、「イナズマンF」という東映特撮ヒーロー史においても異色な、作家性の強い独自の輝きを持った作品への変化を遂げるのだった。

新たなる敵・デスパー軍団の尖兵として現れた謎のロボット、ウデスパーの暗躍により、新人類帝国が内部崩壊を起こす、伊上勝氏よりメインライターを引き継いだ上原正三氏が得意とした敵側の抗争を描いた重厚なドラマをもって描かれた新人類帝国の崩壊、そして帝王バンバの最期をもって、「イナズマン」は幕を閉じることになる。
悪の首領である帝王バンバは最強のミュータンロボット・火炎ファイターへと変化しイナズマンと直接対決。先行していた「仮面ライダー」シリーズや「人造人間キカイダー」シリーズでは悪の首領そのものが最強の怪人という構図は意外にも成立しておらず、「イナズマン」というシリーズならではのものになっている。

超能力を封じる牢獄に捕らえられたイナズマンが自らの体の一部から作り出した超能力増幅器、「ゼーバー」の力によって帝王バンバはついに倒れ、新人類帝国との戦いは終わった。
しかしそこに、新人類帝国のファントム兵士を吸収することで強大な戦力を揃えた、地獄の独裁者・ガイゼル総統が率いるデスパー軍団が姿を現し、イナズマンに宣戦布告する。
自由の戦士の戦いは、ここにさらなる激化を迎えることになる。

「超力招来! 『イナズマンF』の挑戦」

シリアスなドラマづくりが志向された「イナズマンF」。
その第1話では、帝王バンバとの戦いでエネルギーを消耗し傷ついた渡五郎を助けた名もなきアベックが渡五郎を助けたがためにデスパー軍団の犠牲となり、渡五郎を追跡するデスパー軍団の戦闘機による無差別攻撃で多くの犠牲が出る、あまりにもハードな展開が描かれる。
窮地に陥った渡五郎を救ったのは、デスパー軍団壊滅のために日本へ派遣されたインターポール捜査官・荒井誠だった。渡五郎はデスパー軍団の無差別攻撃に周囲の人々を巻き込まないために、住んでいた大学の寮を引き払い、荒井が用意した地下のアジトに潜伏、デスパー軍団の動向を注視しながら孤独に戦う道を選ばざるを得なくなってしまう。
「イナズマン」におけるレギュラーキャストを全て排除して展開されたこの第1話で、圧倒的な軍事力と頂点に立つガイゼル総統の独裁によって支配されたデスパー軍団に対し、たった二人のレジスタンスとして人類解放のために孤独な戦いを挑む渡五郎と荒井誠という構図が完成する。

渡五郎の抹殺を目論む新たなる敵・デスパー軍団。
怪奇性の強いデザインのミュータンロボットとは全く異なる、鋼の質感を思わせる銀色の装甲に身を包んだデスパー怪人を戦力にする恐怖の軍団は、サイボーグによる独裁国家の設立という最終目的のために大量破壊行為をも平然と行い、日本の破壊をも厭わない非情の軍団である。
その頂点に立つガイゼル総統は、優れた身体能力の人間を捕らえ狩猟の対象とする「人間狩り」を娯楽として楽しみ、強大な超能力で人工太陽が輝く地底都市、「デスパー・シティ」を作り、5万人もの人々をデスパー・シティに捕らえ、サイボーグへと改造して圧政を敷く独裁者だ。
強制収容所を思わせるデスパー・シティの設定は、「イナズマンF」第12話「幻影都市デスパー・シティ」において、上原正三氏の骨太な脚本によって圧倒的な迫真性を持って描かれ、人々の自由を奪う独裁者に挑む「自由の戦士」イナズマンの使命をより重いものとした。

レギュラーキャストが渡五郎と荒井誠の二人だけになったことを受け、ヒロインとなる数多くの女性ゲストが参加しているのも「イナズマンF」の特色だ。彼女たちは単なる番組の華の枠を超え、各話のストーリーの中心を担う悲劇のヒロインとして描かれることも多かった。
第12話「幻影都市 デスパー・シティ」に登場した、デスパーの支配に対するレジスタンスのリーダーでありながら、デスパー軍団内部に潜入するためサイボーグ手術を受けデスパーの信頼を勝ち取り、救世主である渡五郎と荒井誠をデスパー・シティ内部に手引きすることに成功すると、彼らに未来を託し散っていった村野ユキ。
第22話「邪魔者は殺(け)せ ガイゼルの至上命令」に登場した、荒井と同じくインターポールの捜査官であったが、兄がデスパーに改造されブラックデスパーとなってしまい、兄のためにインターポールを裏切り、正義と兄への思いの狭間で苦しみながら、最期には渡五郎たちにデスパー・シティの入口を示す暗号文を残した白鳥ジュン。
その他にも数多くのヒロインたちが各話を彩り、強い印象を残している。
この少数のレギュラーキャストとゲストヒロインが物語を回す作風は「イナズマン」中盤から既に見られ、「イナズマン」中盤の成功をもって「イナズマンF」で本格的に導入されている。

かくして設定の変更・整理を大胆に行い、ハードなシリアスなドラマへと変転を果たした「イナズマンF」は、非常に作家性の強い、東映特撮ヒーロー史においても異色の作品として成立することになる。シリーズ初期こそ人気を博していたライジンゴーの活躍なども描かれていたが、ドラマ路線の強化に従いライジンゴーの登場頻度も減っていき、ドラマパートの演出に尺が割かれた。制作陣は自分たちが撮りたいドラマづくりに力を注ぎ、半年間に渡る「イナズマンF」というシリーズを一貫したものとして完成させた。
その姿勢は後年評価され、熱狂的な年長のファンを獲得することになる。

「自由の戦士、重すぎた使命」

長きにわたる死闘の果てに、ついにデスパー軍団の本拠地であるデスパー・シティへとたどり着いた渡五郎と荒井誠は、デスパー・シティに捕らえられていた荒井の妻子を発見。
デスパー・シティの人工太陽を爆破し日本を沈没させようとしたガイゼル総統の最終作戦はイナズマンの活躍で阻止され、血みどろの死闘の果てにイナズマンはついにガイゼル総統を打倒、ガイゼル総統の超能力で作られたデスパー・シティは消滅する。荒井の妻子や捕らえられた5万人の人々は開放され、世界に平和が訪れるのであった。

「イナズマン」「イナズマンF」というシリーズの道のりは決して順風満帆なものではなかった。それは変身ブーム、オカルトブームに熱狂する子供たちの心を掴むために、既存の作品との差別化を図って盛り込まれた要素が、かえって作風の縛りになったが故であるとも言える。

サナギマンからイナズマンへの二段変身という、イナズマンの最大の特徴となる要素は、イナズマンへの変転のために、サナギマンが敵の攻撃のエネルギーを吸収しなければならないという縛りとなり、サナギマンが敵の攻撃を黙って耐えるシーンを盛り込まなくてはならなくなってしまった。「サナギマンは待つ」というナレーションが象徴するように、ひたすら敵の攻撃を受け続ける受動的な立ち回りをしなければならないシーンが挟まることで、実際にはファントム兵士なら圧倒できるほどの力を持ちながら「サナギマンは弱い」という印象が付与されてしまったことは否めない。結果的にサナギマンの出番は話数を重ねるごとに削減されていき、イナズマンへの変転の間に一瞬サナギマンの登場場面が挟まる、という程度に落ち着いていった。

イナズマンをバックアップする「少年同盟」の設定もまた、ドラマ展開に子供たちの活躍を入れ込まなくてはならないという縛りとなり、作風の自由度を制限してしまった。
この作風の縛りはすぐに改定され、「少年同盟」の描写は「イナズマン」中盤以降急激にフェードアウトすることで解決が図られたが、一度描写した設定が何の説明もなく消滅してしまったことがやや不自然さを招いていることも否めない。

だが「イナズマン」「イナズマンF」という作品は、これらの作風の縛りを、あたかも蛹が蝶となるように変化させていき、独自の作風を洗練させていった。
そこで見られたのは制作陣のドラマ作りへの真摯な姿勢である。
テコ入れで新たな設定を付け加えていくのではなく、要素の引き算を行うことで人間ドラマに割く時間を増やし、ドラマ面の厚みを増すことで視聴者の興味を引く作りが行われたのである。
ここに制作陣の非凡なセンスを感じずにはいられない。
世の中はままならないもので、良いものを作れば売れるとは限らない。
しかし「イナズマン」「イナズマンF」において、ヒーロー作品という枠組みの中で重厚な人間ドラマという良いものを作ろうとしたスタッフの志は、後世のマニアたちからのカルト的な人気の獲得という成果を残した。それはイナズマンというヒーローが「仮面ライダー」や「キカイダー」と並ぶ高い人気を未だに持つことが証明している。

軍服のようなユニフォームに身を包んだ戦闘員。強制収容所を思わせる人々の収監。
イナズマンというヒーローが「自由の戦士」を名乗るにあたり、制作陣は意図的に敵役である新人類帝国やデスパー軍団に圧政を敷く独裁国家のイメージを強く付加した。
人々を奴隷として支配しようとする圧政に対抗し、自由を求めて戦うイナズマンの姿を通して、人が人を支配しようとする行為の恐ろしさや圧政の中で犠牲となる人々の姿が克明に描かれた。
「自由の戦士」という代名詞に対して真摯にその意味を追求し、人間の自由という最も尊ばれるべき精神が守り抜かれることの素晴らしさが、シリーズを通して描かれたのである。

その重厚な「自由」を巡るドラマは、「イナズマン」「イナズマンF」を今なお色褪せない、いや、今だからこそ「自由」の素晴らしさを強く訴えかけるような、独自の輝きを持ったシリーズとして完成させている。50年の時を経てもなお普遍的なテーマである「自由」。
新人類帝国の帝王バンバは超能力の素質のある子供を捕らえ強制的に改造・洗脳し自らの手駒にしようとする非人道的な行為を何度も行った。都市全体を収容所とし、5万人もの人々を弾圧し続けたデスパー軍団は自由を閉ざし人々の心から希望を奪った。
これらの描写は現実世界にも通じる、あるいは現代においても世界の何処かで行われている、圧政を敷くものによる、人間の尊厳の弾圧のカリカチュアライズである。
現実世界の何処かで起きている自由の弾圧を戯画化し、その恐ろしさとそれに立ち向かう勇気を描いた「イナズマン」「イナズマンF」は、「自由」の素晴らしさを今だからこそ私達の心に強く訴えかけているのである。

「イナズマン」「イナズマンF」は東映特撮ファンクラブにて有料見放題配信中だ。
超能力を本格特撮で描いた大スペクタクル描写、空飛ぶ車ライジンゴーのど派手な活躍、多彩な超能力を駆使し戦うイナズマンの華やかさ。
特撮ヒーロー作品として追求されたこれらの娯楽要素を惜しげもなく描いた「イナズマン」から、圧政に立ち向かう孤独な戦士の戦いのドラマを貫徹した「イナズマンF」へ、二段変身を遂げていった「自由の戦士」の物語を、ぜひもう一度目撃していただきたい。
蛹が蝶になるように、作風を洗練されたものへと変化させていき、ドラマの完成度を高めていった制作陣の真摯な姿勢と熱い情熱が、きっと今でもあなたの心を掴むはずだ。

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